
2012年04月10日
山田町を訪問して
私のおでんそーれへの参加理由は簡単なものでした。
「被災した方々に対し、何かをしたい」「子どもたちの笑顔が見たい」
「何か」をしたい気持ちはあっても、何ができるかがわからず、
何もできないまま月日だけが流れ、
遠く沖縄で変わらない毎日を過ごしていました。
そんな中、職場の中で出てきた「おでんそーれ」の活動に対し、
「何か」ができるのではないか、という気持ち、子どもたちの笑顔が見れるという期待、
何よりも、私自身が楽しんでできるのではないか、という思いから軽い気持ちでの参加でした。
想像通り、準備の段階から楽しく、笑顔が絶えない活動でしたが、
訪問する日が近づくにつれ、「1人よがりな支援になってないだろうか」と不安も多少なりともありました。
でも、そうはいっても楽しい。
その思いだけが、私を勢いで岩手まで連れて行ったように思います。
初めて見る被災地。言葉になりませんでした。
琉装を着て浮かれた格好をしている自分が場違いのような気さえし、
震災後ほとんど手つかず、と言っても過言じゃない町を見ながら、
「子どもたちの笑顔」を求めてきたこと自体が間違っていたのではないかとすら思えてきました。
無くなった自分たちの町を毎日毎日見続けている子どもたちのことを想像すると、
私には子どもたちの前で笑顔を作ることができるのだろうか、という
準備の段階から全く想像もしなかった不安でいっぱいになりました。
しかし、そんな思いを一掃してくれた子どもたちの笑顔。
温かく迎えいれてくれた先生方。
授業が終わってホッとした後も、かき小屋で、仮設住宅で、仮設の居酒屋で、
町のいろんなところで見せてもらった人々の優しさ。
私は、被災地のこの1年間の時間の流れをどう表現していいかわかりません。
被災地の人々のことをどう表現していいのかわかりません。
どう表現してもあてはまるだろうし、どう表現してもあてはまらないような気がするからです。
でも、今回、実際に被災地を見て、感じて、町の人々と触れ合い、話をしたことで、
被災地では被災地としての時間が確実に流れていることを感じました。
私が見た山田町は、瓦礫が撤去されず、新しい建物が建つどころか、
津波の跡が生々しい鉄筋だけが残った建物がまだそのままにあり、
プレハブで造られた小さなお店や、更地のすぐ隣にある残った家の対比、言葉にできない現実でしたが、
そこに居た人は、想像もできない出来事を体験し、たくさんの気持ちの動きがあっただろうに、
突然沖縄から訪問した私たちに、とびきりの笑顔と優しさ、温かさを見せてくれました。
子どもたちの笑顔、人々の優しさ、山田町の温かさに、
私は「強さ」を感じたように思います。
私たち訪問者には決して見せられないところもたくさんある中で、
たった数時間の出会いで見せてもらった表情に「強さ」という言葉を使うことは
間違っているかもしれなませんが、それでも、あえて「強さ」と表現したい何かがそこにはありました。
震災から1年たった今でも、私たちができることはたくさんあると思います。
たくさんある中で、被災直後と違い、何をしていいのかわからないのも事実です。
でも、私たちのペースで何かを支援するのではなく、
東北の人々が求めている何かを教えてもらいながら、
その中で私たちができることを見つけ、お手伝いしていくことができれば、と思いました。
遠く沖縄から言葉にすると、とても簡単で他人事のように聞こえてしまうかもしれませんが、
子どもたちの姿、笑顔を思い出すと、東北の未来にはきちんと光が射していて、
山田町の強さは、復興に向けて1歩ずつ歩んでいるように感じました。
これからも、できることは小さく、限定的なことかもしれませんが、
子どもたちと東北の未来を信じ、ともに歩んでいきたいです。
精神保健福祉士 小寺 美也子
「被災した方々に対し、何かをしたい」「子どもたちの笑顔が見たい」
「何か」をしたい気持ちはあっても、何ができるかがわからず、
何もできないまま月日だけが流れ、
遠く沖縄で変わらない毎日を過ごしていました。
そんな中、職場の中で出てきた「おでんそーれ」の活動に対し、
「何か」ができるのではないか、という気持ち、子どもたちの笑顔が見れるという期待、
何よりも、私自身が楽しんでできるのではないか、という思いから軽い気持ちでの参加でした。
想像通り、準備の段階から楽しく、笑顔が絶えない活動でしたが、
訪問する日が近づくにつれ、「1人よがりな支援になってないだろうか」と不安も多少なりともありました。
でも、そうはいっても楽しい。
その思いだけが、私を勢いで岩手まで連れて行ったように思います。
初めて見る被災地。言葉になりませんでした。
琉装を着て浮かれた格好をしている自分が場違いのような気さえし、
震災後ほとんど手つかず、と言っても過言じゃない町を見ながら、
「子どもたちの笑顔」を求めてきたこと自体が間違っていたのではないかとすら思えてきました。
無くなった自分たちの町を毎日毎日見続けている子どもたちのことを想像すると、
私には子どもたちの前で笑顔を作ることができるのだろうか、という
準備の段階から全く想像もしなかった不安でいっぱいになりました。
しかし、そんな思いを一掃してくれた子どもたちの笑顔。
温かく迎えいれてくれた先生方。
授業が終わってホッとした後も、かき小屋で、仮設住宅で、仮設の居酒屋で、
町のいろんなところで見せてもらった人々の優しさ。
私は、被災地のこの1年間の時間の流れをどう表現していいかわかりません。
被災地の人々のことをどう表現していいのかわかりません。
どう表現してもあてはまるだろうし、どう表現してもあてはまらないような気がするからです。
でも、今回、実際に被災地を見て、感じて、町の人々と触れ合い、話をしたことで、
被災地では被災地としての時間が確実に流れていることを感じました。
私が見た山田町は、瓦礫が撤去されず、新しい建物が建つどころか、
津波の跡が生々しい鉄筋だけが残った建物がまだそのままにあり、
プレハブで造られた小さなお店や、更地のすぐ隣にある残った家の対比、言葉にできない現実でしたが、
そこに居た人は、想像もできない出来事を体験し、たくさんの気持ちの動きがあっただろうに、
突然沖縄から訪問した私たちに、とびきりの笑顔と優しさ、温かさを見せてくれました。
子どもたちの笑顔、人々の優しさ、山田町の温かさに、
私は「強さ」を感じたように思います。
私たち訪問者には決して見せられないところもたくさんある中で、
たった数時間の出会いで見せてもらった表情に「強さ」という言葉を使うことは
間違っているかもしれなませんが、それでも、あえて「強さ」と表現したい何かがそこにはありました。
震災から1年たった今でも、私たちができることはたくさんあると思います。
たくさんある中で、被災直後と違い、何をしていいのかわからないのも事実です。
でも、私たちのペースで何かを支援するのではなく、
東北の人々が求めている何かを教えてもらいながら、
その中で私たちができることを見つけ、お手伝いしていくことができれば、と思いました。
遠く沖縄から言葉にすると、とても簡単で他人事のように聞こえてしまうかもしれませんが、
子どもたちの姿、笑顔を思い出すと、東北の未来にはきちんと光が射していて、
山田町の強さは、復興に向けて1歩ずつ歩んでいるように感じました。
これからも、できることは小さく、限定的なことかもしれませんが、
子どもたちと東北の未来を信じ、ともに歩んでいきたいです。
精神保健福祉士 小寺 美也子
Posted by おでんそーれ at 20:56│Comments(0)