
2012年04月05日
「おでんそーれ」に参加して
横田先生の発案した「おでんそーれ」:「カンカラ三線を東北の子供たちに届ける」
オリブ山病院に入職して3ヶ月目にこの企画を伺い、
興味を持った私は、最初の三線作りに参加しました。
東北まで行けるかどうかは半信半疑で、その後の準備には参加できないまま。
しかし、横田先生の呼びかけるブログ、
同じ時期に新聞記事で目的地の山田町のことが連載されており、
一度は行かなければいけないと思っていた被災地、心が動きました。
そして「自分も行く」と言う娘と一緒に出かけることになりました。
夫は仕事があり、残りの子供たちは受験を控えていたので、今回は参加できませんでしたが、
快く送り出してくれました。
国際通りでの募金活動で協力してくださった皆様、
お土産もたせたい「3年2組」の皆様。手作りのお菓子や準備の品の数々。
勤務の都合で今回参加はできなかったかたがた。
本当はみんな東北へ行きたい。
何かできることを常に考えていらっしゃることを心に留めて参加させていただきました。
宮古市の夕食会へ向かいながら、
沖縄出身の高橋さんから、当時の津波の水位と
店向かいの駐車場と思っていたところも流されたところであると聞かされ、
海の気配を感じないところにまでと考えると言葉が出てきません。
「瓦礫を皆さんスーツケース一つずつ持って帰ってね。」とおっしゃっていました。
翌日、山田町の小学校へ向かう途中、津波の跡にますます言葉を失いました。
高い堤防の側を車で走っていると、海は見えません。
海に近いほど海は見えません。そして、今でこそ分類されている瓦礫。
電信柱、海の浮き、木材や金属の山。たくさんの積まれた車、
かろうじて跡を残す線路。焼け焦げた樹木。
高橋さんのおっしゃる意味がようやくわかりました。
当時の様子を思うと、創造を絶するものであります。
しかし、現実という重さ。
かんから三線にどのような反応をみせるのか、不安のほうが強く感じてしまいました。
山田南小学校の先生方、子供たちの明るい笑顔に、心の底からこちらが励まされました。
ひたむきな「虎舞」の演舞、演奏に涙が出そうでした。(ここは我慢)
先生方、ご家族や大人の方々の見守りや愛情の深さを覚えます
この小学校が、被災を避け、病院となり避難所となり、様々な機能をしていたこと。
先生方、住民の方々、ボランティアの方々の協力で
9月からようやく子供たちの戻る学校となったそうです。
その最後の消毒を任され、感無量だったという保健師の尾無さん。
震災の3月は24時間体制で動いていたという責任感の強さに頭が下がりました。
読み聞かせボランティアの看護師さん。
ご自宅も津波で流され、ライフワークの絵本たち500冊ももっていかれたそうです。
静かにその当時のことをお話して下さいました。
「仮設住宅のトイレの水が凍っている。」娘は始めての雪や氷を見て驚きながら、
仮設の寒さを改めて実感しながら、生活している皆様の健康が守られるように祈ります。
今回、心のケアチームの佐々木先生とお友達の堂田さんには本当にお世話になりました。
「かんから三線」とつながる学校探し、車の運転、お食事の場からご馳走、
山田南小学校の子供たちが三線を作っているところが載っている朝刊を、
私たちが出発するバスに乗り込んでまで届けてくださる行動には、
どっちが支援をする立場だっけ?と本当に頭が下がる気持ちと
佐々木先生のすごさを感動しながら今も書いています。
「つながっていくこと、寄り添い続けること」優しいことばだけど、
実践するのは心からの思いやりと忍耐が求められます。
自然体でさりげなく実践なさっていらっしゃることその大切さを学びました。
人を元気づけるって難しいです。
「どんなに、元気の出るようなことを上に積んでも、ベースが・・・」というお話も伺いました。
家族を、親戚を、家を失うということの苦しさを思うと胸が張り裂けてしまう自分もいます。
ほんの少しだけ訪問した私には何もえらそうなことは言えないのですが、
マズローのニード論のピラミッドをたとえると、きっと上に積んでいるというより、
衣食住・生理的ニードよりのもっと深いベースの活動を
佐々木先生はじめ、心のケアチームは、実践なさっていらっしゃると思いました。
また、お一人お一人の笑顔や穏やかな様子がお互いを支えていらっしゃることとも実感いたしました。
食事会の後に寄った、カフェバーのマスターさんが5年生のお父様と言うことをうかがいました。
「かんから三線」子供たちが各々家に持ち帰って、少しでも笑顔や話の輪が広がりますように。
子どもたちからも「・・・これからも続きますように」の言葉への責任も感じながら。
たくさんの方々にお会いできましたこと、お話を伺えましたこと、
参加させていただいたことすべてに感謝申しあげます。
震災の映像から1年を迎えるにあたり、今週はテレビでもその映像が頻回に流れています。
一日も早く東北の皆様の穏やかな日々、笑顔が戻りますように。
平安をこころからお祈りしています。
看護師 屋比久 浩美
オリブ山病院に入職して3ヶ月目にこの企画を伺い、
興味を持った私は、最初の三線作りに参加しました。
東北まで行けるかどうかは半信半疑で、その後の準備には参加できないまま。
しかし、横田先生の呼びかけるブログ、
同じ時期に新聞記事で目的地の山田町のことが連載されており、
一度は行かなければいけないと思っていた被災地、心が動きました。
そして「自分も行く」と言う娘と一緒に出かけることになりました。
夫は仕事があり、残りの子供たちは受験を控えていたので、今回は参加できませんでしたが、
快く送り出してくれました。
国際通りでの募金活動で協力してくださった皆様、
お土産もたせたい「3年2組」の皆様。手作りのお菓子や準備の品の数々。
勤務の都合で今回参加はできなかったかたがた。
本当はみんな東北へ行きたい。
何かできることを常に考えていらっしゃることを心に留めて参加させていただきました。
宮古市の夕食会へ向かいながら、
沖縄出身の高橋さんから、当時の津波の水位と
店向かいの駐車場と思っていたところも流されたところであると聞かされ、
海の気配を感じないところにまでと考えると言葉が出てきません。
「瓦礫を皆さんスーツケース一つずつ持って帰ってね。」とおっしゃっていました。
翌日、山田町の小学校へ向かう途中、津波の跡にますます言葉を失いました。
高い堤防の側を車で走っていると、海は見えません。
海に近いほど海は見えません。そして、今でこそ分類されている瓦礫。
電信柱、海の浮き、木材や金属の山。たくさんの積まれた車、
かろうじて跡を残す線路。焼け焦げた樹木。
高橋さんのおっしゃる意味がようやくわかりました。
当時の様子を思うと、創造を絶するものであります。
しかし、現実という重さ。
かんから三線にどのような反応をみせるのか、不安のほうが強く感じてしまいました。
山田南小学校の先生方、子供たちの明るい笑顔に、心の底からこちらが励まされました。
ひたむきな「虎舞」の演舞、演奏に涙が出そうでした。(ここは我慢)
先生方、ご家族や大人の方々の見守りや愛情の深さを覚えます
この小学校が、被災を避け、病院となり避難所となり、様々な機能をしていたこと。
先生方、住民の方々、ボランティアの方々の協力で
9月からようやく子供たちの戻る学校となったそうです。
その最後の消毒を任され、感無量だったという保健師の尾無さん。
震災の3月は24時間体制で動いていたという責任感の強さに頭が下がりました。
読み聞かせボランティアの看護師さん。
ご自宅も津波で流され、ライフワークの絵本たち500冊ももっていかれたそうです。
静かにその当時のことをお話して下さいました。
「仮設住宅のトイレの水が凍っている。」娘は始めての雪や氷を見て驚きながら、
仮設の寒さを改めて実感しながら、生活している皆様の健康が守られるように祈ります。
今回、心のケアチームの佐々木先生とお友達の堂田さんには本当にお世話になりました。
「かんから三線」とつながる学校探し、車の運転、お食事の場からご馳走、
山田南小学校の子供たちが三線を作っているところが載っている朝刊を、
私たちが出発するバスに乗り込んでまで届けてくださる行動には、
どっちが支援をする立場だっけ?と本当に頭が下がる気持ちと
佐々木先生のすごさを感動しながら今も書いています。
「つながっていくこと、寄り添い続けること」優しいことばだけど、
実践するのは心からの思いやりと忍耐が求められます。
自然体でさりげなく実践なさっていらっしゃることその大切さを学びました。
人を元気づけるって難しいです。
「どんなに、元気の出るようなことを上に積んでも、ベースが・・・」というお話も伺いました。
家族を、親戚を、家を失うということの苦しさを思うと胸が張り裂けてしまう自分もいます。
ほんの少しだけ訪問した私には何もえらそうなことは言えないのですが、
マズローのニード論のピラミッドをたとえると、きっと上に積んでいるというより、
衣食住・生理的ニードよりのもっと深いベースの活動を
佐々木先生はじめ、心のケアチームは、実践なさっていらっしゃると思いました。
また、お一人お一人の笑顔や穏やかな様子がお互いを支えていらっしゃることとも実感いたしました。
食事会の後に寄った、カフェバーのマスターさんが5年生のお父様と言うことをうかがいました。
「かんから三線」子供たちが各々家に持ち帰って、少しでも笑顔や話の輪が広がりますように。
子どもたちからも「・・・これからも続きますように」の言葉への責任も感じながら。
たくさんの方々にお会いできましたこと、お話を伺えましたこと、
参加させていただいたことすべてに感謝申しあげます。
震災の映像から1年を迎えるにあたり、今週はテレビでもその映像が頻回に流れています。
一日も早く東北の皆様の穏やかな日々、笑顔が戻りますように。
平安をこころからお祈りしています。
看護師 屋比久 浩美
Posted by おでんそーれ at 20:48│Comments(0)