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2012年03月11日

沖縄タイムス ワラビー

本日、ブログをアップしようかどうしようか悩んだのですが、
沖縄タイムスの子供向け新聞「ワラビー」さんに
山田南小学校のことが載っていたので。

沖縄タイムス ワラビー
記事の内容は読みにくいので、文章はこちら。

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カンカラ三線 友情の響き

昨年3月11日午後2時46分ごろ、岩手県の沿岸部、山田町にある山田南小学校では、
高学年児童は授業の真っ最中。低学年は下校の準備をしていました。
同校は海抜14メートルの小高い丘にあります。前日にも大きな地震があり、佐賀敏子
校長先生は当日の職員朝会で「もし地震が起これば津波が心配です。児童を学校に
待機させよう」と先生方に指示を出しました。
「グラリ」。地震発生後、下校中の2年生はすぐ学校に戻ってきました。グラウンドは児童
だけでなく、地域の人々を含めた避難場所になりました。
町は4メートル以上の津波に流されてしまいました。こんなに大きな津波が、静かな町を
襲うとはだれもが想像もしませんでした。家は流され、避難していた人が帰る場所はなく
なりました。
体育館を含めた学校にはしばらく、家を失った地域の人たちが身を寄せました。学校の
保健室は、町のお医者さんが病院の代わりに使うことになりました。
全国から緊急医療隊が、安全な場所にある山田南小学校にやってきました。地震から
約5か月後の8月までの間、学校は避難所として使われました。

■沖縄から笑顔届け
授業は4月に再開しましたが、学校は避難所のままです。校舎の1階は寝たきりの人の
病棟となり、2階から上の階を教室として使いました。体育館や運動場も使えず、廊下に
マットを敷いて体育の授業をしたこともありました。
家を流されたり、震災後両親の仕事がなくなるなどの理由で、町を離れる児童も少なく
ありませんでした。震災から1年の間に、全校生徒は304人から260人に減りました。
これまで外で元気にサッカーをしていた児童も、木陰でカードゲームをするようになったり
するなど、少しさびしそうでした。
2月下旬、沖縄のオリブ山病院の医師らによるグループ「おでんそーれカンカラ三線」
(横田泉会長)から、同校に5年生45人に三線が届けられました。交流会では沖縄の
エイサー、児童らの虎舞が演じられたほか三線教室もあり、参加者から笑顔がこぼれました。
沖縄の文化に初めて触れた川端空翔くん(11)は三線を手に「三線もエイサーもこれまで
見たことのないものばかり。うまく弾けるようになりたい」と思いを巡らせました。堀合泉さん
(11)は「一年中温かい沖縄に、いつか行ってみたい」と話しました。
復興には、まだ時間がかかりそうですが、佐賀校長は「つらいこともたくさんある。だけど、
自分たちの力で町を楽しくしようという気持ちが子どもたちに出てくれば、将来は明るい
ですね」と期待しています。

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子ども向けの新聞なので、言葉がとても優しいのですが、
その分、当時の状況がとても伝わるように感じました。
そこからの子どもたちの笑顔。

先日の琉球新報さんもそうでしたが、子どもたちや被災地の方たちの笑顔というのは
逆に私たちが力づけられ、勇気づけられるような気がします。

笑顔だけの毎日ではないことも現実ですが、こうして笑顔を見せてくれる子どもたちを
大切に見守っていきたいと思います。

8日付の琉球新報さん、11日付の沖縄タイムスさん、
私たちが見ることのできなかった、訪問後の子どもたちの笑顔を届けてくれて
本当にありがとうございました。




Posted by おでんそーれ at 18:41│Comments(0)
 
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