
2012年01月04日
2012!!
新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は、大変お世話になりました。
2012年が明けました。
昨年は、後世に語り継がれる1年になりました。
年末年始を避難所や避難先で生活しながら1日も早い復興を願いながら
過ごされた方がたくさんいらっしゃることに心が痛みます。
テレビで、爪痕の残る被災地の映像とともに、
復興に向けて頑張る人々の笑顔が写されると、ホッとするのも事実。
被災地の方々に1つでも多くの笑顔が生まれることを願い、
私たちも1日1日を大切に過ごしていかなければ、と改めて感じました。
2011年初夏、沖縄県から心のケアチームとして東北へ行った際に思いついたこの企画、
昨年は
飲み会という名の会合
カンカラ三線の試作品作り
プロモーションビデオ作成
プロモーションビデオの上映会
カンカラ三線の練習
Etc.
私たち自身が楽しむための活動をめいっぱい行ってまいりました。
初めての会合では、関西に住む画伯さんも参加。
その時にいたメンバーさんの似顔絵を描いてくださいました。
見てください、このみんなの楽しそうな顔。
この時は、とにかく楽しく、とにかく笑顔で、とにかく沖縄からたくさんの唄と笑顔を届けよう、
と泡盛片手にいろいろと語ったものです。
それから約半年。
少しずつではありますが、東北へ行く話も具体的になってきています。
そして、話が具体的になるにつれ、私たちは、
「ただ楽しく」だけでは足りないのでは?と思うようになりました。
きっかけは、ジャーナリスト原氏のこの企画への熱い思いです。
「カンカラ三線について調べたんですよ」といろいろな本や情報を熱く語ってくださいました。


私たちの気持ちがついていくのが大変だったくらい熱いです。
これくらい熱くないと、ジャーナリストなんて職業はなれないのかもしれません。
なにはともあれ、私たちは、カンカラ三線カンカラ三線と言いながら、
カンカラ三線について何も知らな過ぎたのかな、と思いました。
東北にカンカラ三線を持っていくと決めたとき、カンカラ三線を選んだ理由に
「カンカラ三線は戦後沖縄復興のシンボル」とあげました。
だけど、そのシンボルについて、私たちはどれくらい知っているのでしょうか。
そんな風に話をして、いざ、東北で質問されたときに、私たちはどこまで答えられるでしょうか。
想いと勢いだけでは成り立たないこともある、と感じ始めたのがこの昨年末でした。
なので、今年のおでんそーれの活動は、東北に行った際、
子どもたちにカンカラ三線の楽しさだけでなく、
私たち沖縄の歴史も一緒に教えられるような知識の習得も大きなテーマになりました。
沖縄市にある、諸見民芸館という私立博物館に、
戦後、収容所にいた方たちが作った本物のカンカラ三線が展示されているというのです。
全てが失われ、何もないところでも、それでも唄と笑顔と希望を忘れなかった私たちの偉大なる先人たち。
そんな先人が作った、本物のカンカラ三線があるというのです。
私たちは、このカンカラ三線から東北に届ける歌と笑顔だけではなく、
沖縄の人々の強さと希望をもらってきたいと思います。
そして、私たちと一緒に活動をしてくれている、オデンセ山田の代表者さん、
活動の趣旨に賛同し、寄付をしてくださった協力者の方々、
カンカラ三線のキット購入に協力してくださった三線工房まちだ屋さん。
他にも、たくさんの方々が、おでんそーれの活動を応援してくれています。
おでんそーれは、たくさんの人に協力され、支えられて活動をしています。
この方たちの思いも一緒に東北に持っていくことが今年最大の目標です。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
旧年中は、大変お世話になりました。
2012年が明けました。
昨年は、後世に語り継がれる1年になりました。
年末年始を避難所や避難先で生活しながら1日も早い復興を願いながら
過ごされた方がたくさんいらっしゃることに心が痛みます。
テレビで、爪痕の残る被災地の映像とともに、
復興に向けて頑張る人々の笑顔が写されると、ホッとするのも事実。
被災地の方々に1つでも多くの笑顔が生まれることを願い、
私たちも1日1日を大切に過ごしていかなければ、と改めて感じました。
2011年初夏、沖縄県から心のケアチームとして東北へ行った際に思いついたこの企画、
昨年は
飲み会という名の会合
カンカラ三線の試作品作り
プロモーションビデオ作成
プロモーションビデオの上映会
カンカラ三線の練習
Etc.
私たち自身が楽しむための活動をめいっぱい行ってまいりました。
初めての会合では、関西に住む画伯さんも参加。
その時にいたメンバーさんの似顔絵を描いてくださいました。
見てください、このみんなの楽しそうな顔。
この時は、とにかく楽しく、とにかく笑顔で、とにかく沖縄からたくさんの唄と笑顔を届けよう、
と泡盛片手にいろいろと語ったものです。
それから約半年。
少しずつではありますが、東北へ行く話も具体的になってきています。
そして、話が具体的になるにつれ、私たちは、
「ただ楽しく」だけでは足りないのでは?と思うようになりました。
きっかけは、ジャーナリスト原氏のこの企画への熱い思いです。
「カンカラ三線について調べたんですよ」といろいろな本や情報を熱く語ってくださいました。



私たちの気持ちがついていくのが大変だったくらい熱いです。
これくらい熱くないと、ジャーナリストなんて職業はなれないのかもしれません。
なにはともあれ、私たちは、カンカラ三線カンカラ三線と言いながら、
カンカラ三線について何も知らな過ぎたのかな、と思いました。
東北にカンカラ三線を持っていくと決めたとき、カンカラ三線を選んだ理由に
「カンカラ三線は戦後沖縄復興のシンボル」とあげました。
だけど、そのシンボルについて、私たちはどれくらい知っているのでしょうか。
そんな風に話をして、いざ、東北で質問されたときに、私たちはどこまで答えられるでしょうか。
想いと勢いだけでは成り立たないこともある、と感じ始めたのがこの昨年末でした。
なので、今年のおでんそーれの活動は、東北に行った際、
子どもたちにカンカラ三線の楽しさだけでなく、
私たち沖縄の歴史も一緒に教えられるような知識の習得も大きなテーマになりました。
沖縄市にある、諸見民芸館という私立博物館に、
戦後、収容所にいた方たちが作った本物のカンカラ三線が展示されているというのです。
全てが失われ、何もないところでも、それでも唄と笑顔と希望を忘れなかった私たちの偉大なる先人たち。
そんな先人が作った、本物のカンカラ三線があるというのです。
私たちは、このカンカラ三線から東北に届ける歌と笑顔だけではなく、
沖縄の人々の強さと希望をもらってきたいと思います。
そして、私たちと一緒に活動をしてくれている、オデンセ山田の代表者さん、
活動の趣旨に賛同し、寄付をしてくださった協力者の方々、
カンカラ三線のキット購入に協力してくださった三線工房まちだ屋さん。
他にも、たくさんの方々が、おでんそーれの活動を応援してくれています。
おでんそーれは、たくさんの人に協力され、支えられて活動をしています。
この方たちの思いも一緒に東北に持っていくことが今年最大の目標です。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
Posted by おでんそーれ at 17:40│Comments(0)