おでんそーれの活動をしながら、
「被災者への支援とは何だろうか、私にできることは何だろうか
、ひとりよがりにならない支援とはどんなものなのだろうか・・・・」
というようなことを、いろいろと考えました。もちろん答えは出ませんが、
この問いに向かい続けることが大切だとおもいました。
予想はしていましたが、訪れた山田町の現状は厳しいものでした。
住宅や商店が並んでいた地域は、コンクリートの残骸が一部残った荒地でした。
駅には線路がなく、プラットホームの一部が残っているだけ、
その横にはスクラップになり錆びた乗用車の残骸が積まれていました。
復興計画すらまとまっていない状況、
仮設の生活がいつまで続くのか先が見えない状況であるとのことでした。
そんな中にプレハブで営業を再開した飲食店があり、
今回はそういうお店で食事をさせていただきました。
山田南小学校では、被災直後には流された病院の代わりとして学校が機能したこと、
体育館が避難所となっていたこと、
現在は校庭に仮設住宅が建てられていることを教えてもらいました。
震災の影響で授業が大幅に遅れ、厳しいスケジュールをこなしてきたこと、
厳しいスケジュールにもかかわらず私たちの活動が子どもたちの力になるだろうと考えて、
先生方が受け入れを決めてくださったことなどをうかがいました。
学校の関係者、オデンセ山田のメンバー、山田町で心のケア活動をされている人・・・。
今回の訪問で出会ったたくさんの方々から、それぞれの被災体験やその後の経緯、
みなさんの心の動きなどを聞かせていただく機会がありました。当然のことでしょうが、
その一つ一つに、重みがあり、考えさせられることがありました。
行ってよかった、会えてよかった、知ることができてよかったと心から思います。
つらい状況を見て、つらい話を聞いて、自分も少しではあれつらいはずなのですが、
それをはるかに超えて、知ることができてよかったと心から思えます。
このことを大切にしたい、みんなに伝えたいと思います。
私は関西の出身ですが、縁あって沖縄に来て、オリブ山病院で働くようになりました。
たくさんの沖縄の人と出会い、沖縄の歴史・文化を知るようになりました。
短い文章の中ではとても言い尽くすことができませんが、
私の生き方、価値観が沖縄のおかげで大きく変わりました。
戦中、戦後の厳しい時代を生き抜いてきた人たちの知恵と力、
貧しく苦しい中でも笑顔を絶やさず助け合ってきた伝統の力が
沖縄の精神として今に至るまで保たれています。
カンカラ三線はそのシンボルの一つですが、私が感じるそういうもの(沖縄のチムグクル)を
東北の皆さんに伝えたいと思いました。
そして、私が尊敬する沖縄の人と東北の人とをつないでいきたいと思いました。
ブログでもいくつか紹介されていますが、
声を上げてみると驚くほどたくさんの人からの協力、激励がありました。
そして、そのどれもが心温まるものでした。この感動は、ことばではなかなか言い尽くせません。
これからも、つながっていくこと、つなげていくことを続けたいと思います。
私の予想をはるかに超えた沖縄と山田町・東北との交流ができてくるかもしれません。
「沖縄の神様は笑うことが好きで、戦争したり、いがみ合ったり、ののしりあったりするのは嫌いです。
一年のうち神様がお出ましになる日は決まっていますから、
その日だけでも神様を歓迎するためにみんなで笑います。
沖縄にはタントゥイ(種取り)という行事があります。
しめ縄を張って囲んだ田圃に集まって、
タントゥイウシュメー(種取りじいさん)がその周りを駆け回り始めます。
そこは田圃の濡れた畦道ですから、滑って転んだりします。
そして泥だらけになって、『タントゥーコーイ(種取り来い)』と唱えて『ハハハハハ』と作り笑いをします。
そういうことは子どもたちも大好きですから、『お前らも入れ』といわれると、
面白がってタントゥイウシュメーの後を追いかけて、自分たちも滑って転んで泥まみれになって走ります。
するとその子供たちの様子を見た親兄弟が、『あの子見てごらん。アハハハ』と笑って、
タントゥイウシュメーによって仕掛けられた笑いが、
いつの間にかあたりいっぱいにどよめく本物の笑いに変わっていきます。
その笑い声を聞いて神様が喜ぶというわけです。
そしてその時を狙ってカミンチュハーメー(神様と庶民の間をとりもつ役割のおばあさん)が
祈りを捧げて豊作の約束を取り付けるのです。
昔はしばしば不作になりました。
不作でも租税は出せと言って取り上げられ、凶作には餓死するものが出ました。
それこそ、笑いでもって、喜びも悲しみも乗り越えなくてはならなかったんでしょうねぇ。」
(照屋林助 「てるりん自伝」より抜粋)
今回の訪問で、たくさん笑いました。
滑稽な「先生」のおかけ (?) で、子どもたちもたくさん笑ってくれました。
子どもから広がっていく笑いはみんなを照らす光になります。そのことを強く感じました。
戦争といがみ合いの嫌いな沖縄の神様の恩恵を受けて、
これからもたくさんの笑いをともにしていきたいと思います。
おでんそーれ代表
精神科医 横田 泉