2012年04月21日
満を持して
おでんそーれ代表、横田泉がラジオに出演してきました!!
当日、いつものようにインターネットで聴けるものだとばかり思っていたら
どうやら聴けなかったようで。
その時間帯に聞けなかった方のために
ポッドキャストを貼り付けておきますー
代表は
「ちょっと真面目過ぎたかな」
と反省しているようですがいかがでしょうか?
当日、いつものようにインターネットで聴けるものだとばかり思っていたら
どうやら聴けなかったようで。
その時間帯に聞けなかった方のために
ポッドキャストを貼り付けておきますー
代表は
「ちょっと真面目過ぎたかな」
と反省しているようですがいかがでしょうか?
2012年04月10日
山田町を訪問して
私のおでんそーれへの参加理由は簡単なものでした。
「被災した方々に対し、何かをしたい」「子どもたちの笑顔が見たい」
「何か」をしたい気持ちはあっても、何ができるかがわからず、
何もできないまま月日だけが流れ、
遠く沖縄で変わらない毎日を過ごしていました。
そんな中、職場の中で出てきた「おでんそーれ」の活動に対し、
「何か」ができるのではないか、という気持ち、子どもたちの笑顔が見れるという期待、
何よりも、私自身が楽しんでできるのではないか、という思いから軽い気持ちでの参加でした。
想像通り、準備の段階から楽しく、笑顔が絶えない活動でしたが、
訪問する日が近づくにつれ、「1人よがりな支援になってないだろうか」と不安も多少なりともありました。
でも、そうはいっても楽しい。
その思いだけが、私を勢いで岩手まで連れて行ったように思います。
初めて見る被災地。言葉になりませんでした。
琉装を着て浮かれた格好をしている自分が場違いのような気さえし、
震災後ほとんど手つかず、と言っても過言じゃない町を見ながら、
「子どもたちの笑顔」を求めてきたこと自体が間違っていたのではないかとすら思えてきました。
無くなった自分たちの町を毎日毎日見続けている子どもたちのことを想像すると、
私には子どもたちの前で笑顔を作ることができるのだろうか、という
準備の段階から全く想像もしなかった不安でいっぱいになりました。
しかし、そんな思いを一掃してくれた子どもたちの笑顔。
温かく迎えいれてくれた先生方。
授業が終わってホッとした後も、かき小屋で、仮設住宅で、仮設の居酒屋で、
町のいろんなところで見せてもらった人々の優しさ。
私は、被災地のこの1年間の時間の流れをどう表現していいかわかりません。
被災地の人々のことをどう表現していいのかわかりません。
どう表現してもあてはまるだろうし、どう表現してもあてはまらないような気がするからです。
でも、今回、実際に被災地を見て、感じて、町の人々と触れ合い、話をしたことで、
被災地では被災地としての時間が確実に流れていることを感じました。
私が見た山田町は、瓦礫が撤去されず、新しい建物が建つどころか、
津波の跡が生々しい鉄筋だけが残った建物がまだそのままにあり、
プレハブで造られた小さなお店や、更地のすぐ隣にある残った家の対比、言葉にできない現実でしたが、
そこに居た人は、想像もできない出来事を体験し、たくさんの気持ちの動きがあっただろうに、
突然沖縄から訪問した私たちに、とびきりの笑顔と優しさ、温かさを見せてくれました。
子どもたちの笑顔、人々の優しさ、山田町の温かさに、
私は「強さ」を感じたように思います。
私たち訪問者には決して見せられないところもたくさんある中で、
たった数時間の出会いで見せてもらった表情に「強さ」という言葉を使うことは
間違っているかもしれなませんが、それでも、あえて「強さ」と表現したい何かがそこにはありました。
震災から1年たった今でも、私たちができることはたくさんあると思います。
たくさんある中で、被災直後と違い、何をしていいのかわからないのも事実です。
でも、私たちのペースで何かを支援するのではなく、
東北の人々が求めている何かを教えてもらいながら、
その中で私たちができることを見つけ、お手伝いしていくことができれば、と思いました。
遠く沖縄から言葉にすると、とても簡単で他人事のように聞こえてしまうかもしれませんが、
子どもたちの姿、笑顔を思い出すと、東北の未来にはきちんと光が射していて、
山田町の強さは、復興に向けて1歩ずつ歩んでいるように感じました。
これからも、できることは小さく、限定的なことかもしれませんが、
子どもたちと東北の未来を信じ、ともに歩んでいきたいです。
精神保健福祉士 小寺 美也子
「被災した方々に対し、何かをしたい」「子どもたちの笑顔が見たい」
「何か」をしたい気持ちはあっても、何ができるかがわからず、
何もできないまま月日だけが流れ、
遠く沖縄で変わらない毎日を過ごしていました。
そんな中、職場の中で出てきた「おでんそーれ」の活動に対し、
「何か」ができるのではないか、という気持ち、子どもたちの笑顔が見れるという期待、
何よりも、私自身が楽しんでできるのではないか、という思いから軽い気持ちでの参加でした。
想像通り、準備の段階から楽しく、笑顔が絶えない活動でしたが、
訪問する日が近づくにつれ、「1人よがりな支援になってないだろうか」と不安も多少なりともありました。
でも、そうはいっても楽しい。
その思いだけが、私を勢いで岩手まで連れて行ったように思います。
初めて見る被災地。言葉になりませんでした。
琉装を着て浮かれた格好をしている自分が場違いのような気さえし、
震災後ほとんど手つかず、と言っても過言じゃない町を見ながら、
「子どもたちの笑顔」を求めてきたこと自体が間違っていたのではないかとすら思えてきました。
無くなった自分たちの町を毎日毎日見続けている子どもたちのことを想像すると、
私には子どもたちの前で笑顔を作ることができるのだろうか、という
準備の段階から全く想像もしなかった不安でいっぱいになりました。
しかし、そんな思いを一掃してくれた子どもたちの笑顔。
温かく迎えいれてくれた先生方。
授業が終わってホッとした後も、かき小屋で、仮設住宅で、仮設の居酒屋で、
町のいろんなところで見せてもらった人々の優しさ。
私は、被災地のこの1年間の時間の流れをどう表現していいかわかりません。
被災地の人々のことをどう表現していいのかわかりません。
どう表現してもあてはまるだろうし、どう表現してもあてはまらないような気がするからです。
でも、今回、実際に被災地を見て、感じて、町の人々と触れ合い、話をしたことで、
被災地では被災地としての時間が確実に流れていることを感じました。
私が見た山田町は、瓦礫が撤去されず、新しい建物が建つどころか、
津波の跡が生々しい鉄筋だけが残った建物がまだそのままにあり、
プレハブで造られた小さなお店や、更地のすぐ隣にある残った家の対比、言葉にできない現実でしたが、
そこに居た人は、想像もできない出来事を体験し、たくさんの気持ちの動きがあっただろうに、
突然沖縄から訪問した私たちに、とびきりの笑顔と優しさ、温かさを見せてくれました。
子どもたちの笑顔、人々の優しさ、山田町の温かさに、
私は「強さ」を感じたように思います。
私たち訪問者には決して見せられないところもたくさんある中で、
たった数時間の出会いで見せてもらった表情に「強さ」という言葉を使うことは
間違っているかもしれなませんが、それでも、あえて「強さ」と表現したい何かがそこにはありました。
震災から1年たった今でも、私たちができることはたくさんあると思います。
たくさんある中で、被災直後と違い、何をしていいのかわからないのも事実です。
でも、私たちのペースで何かを支援するのではなく、
東北の人々が求めている何かを教えてもらいながら、
その中で私たちができることを見つけ、お手伝いしていくことができれば、と思いました。
遠く沖縄から言葉にすると、とても簡単で他人事のように聞こえてしまうかもしれませんが、
子どもたちの姿、笑顔を思い出すと、東北の未来にはきちんと光が射していて、
山田町の強さは、復興に向けて1歩ずつ歩んでいるように感じました。
これからも、できることは小さく、限定的なことかもしれませんが、
子どもたちと東北の未来を信じ、ともに歩んでいきたいです。
精神保健福祉士 小寺 美也子
2012年04月09日
院内展示会
先日、山田南小学校から、授業の感想、お土産届けたいへの
お礼のお手紙が届きました。
そこで、急きょですが、院内のロビーを借りて展示会を。
子どもたちのお手紙、今までの新聞記事、山田町で撮ってきた写真、
それらをペタペタと貼り付けていきます。

ずれないように気を付けて貼り付け。
こういうとき、何度も確認をしながら貼る人、なんとなく勢いで貼る人、
ユニークさを発揮する人など、いろいろな性格が出てきます。
そして出来上がったのがこちら。


写真もたくさん貼り付けることができました。


お手紙、写真は、17日(火)まで展示予定です。
お近くにいらした際はぜひお立ち寄りください。
ブログでは載せられないたくさんの子どもたちの笑顔に会えると思います。
お礼のお手紙が届きました。
そこで、急きょですが、院内のロビーを借りて展示会を。
子どもたちのお手紙、今までの新聞記事、山田町で撮ってきた写真、
それらをペタペタと貼り付けていきます。

ずれないように気を付けて貼り付け。
こういうとき、何度も確認をしながら貼る人、なんとなく勢いで貼る人、
ユニークさを発揮する人など、いろいろな性格が出てきます。
そして出来上がったのがこちら。


写真もたくさん貼り付けることができました。


お手紙、写真は、17日(火)まで展示予定です。
お近くにいらした際はぜひお立ち寄りください。
ブログでは載せられないたくさんの子どもたちの笑顔に会えると思います。
2012年04月08日
岩手物語
ひょんなことから「おでんそーれ~かんから三線届けたい~」の
岩手県山田南小学校訪問に加わることになった。
短い様な気もしたが、業務上、2泊3日での強行スケジュール。
「一度は行ってみたい」「でも何ができるのだろう」「単なる励ましは何にもならない」
「頑張って」「元気だして」ではなく、「そばにいる」「同じ時を過ごす」という事しかできない。
いろいろな思いを抱きつつ、また井上陽水さんの「氷の世界」が頭でリフレイン中、
まずは、ユニクロへヒートテック(パッチと呼ばないらしい)なるものを購入し、いざ出発!
1日目:~飛行機、モノレール、電車、バスでの移動~
那覇空港より羽田空港まで飛行機で2時間半。
栃木から2時間かけて来た元同僚とモノレール、電車で30分。
元同僚とは東京駅にてお別れ。
日本酒とつまみ等をいただき、各自弁当を購入し、東京駅より盛岡まで新幹線で2時間半。
雪のちらつく中、盛岡からバスにて宮古市まで2時間半。
約8時間。さすがに遠い所へきた印象。外の空気はやはり冷たい。
ホテルでチェックインし、交流会場所へ移動。
交流会場所までの道のりは、さすがに寒く、若干1名震えていた。
楽しい交流会を終え、最後の締めは、お勧めの冷麺を食べるために移動。
皆が冷麺を食べる中、震えていた若干1名は熱いラーメンをすすっていた。
しかし、震えながらも彼はダジャレは言い続けていた。
2日目:~「岩手県宮古市山田町立南小学校」へ~
小学校へ行くまでの道のりを海岸沿いに車で移動
⇒1年近くたっての現状、防波堤や更地をみて言葉も出ない。
小学校に着くと、素敵な文字で歓迎のお出迎え。嬉しかった。
エイサー姿、琉装姿、チョンダラー姿の3人を筆頭にいざ授業へ!
「すべる」「寒い」「無反応」関係なく、ローカルネタでしゃべり続けるエイサー男。
その時タイミングよくチョンダラー男が、本物のうーじ(サトウキビ)を膝で折り、
歯で皮をむいて、しゃぶる見本演技。一気にヒートアップし、子ども達に歓声が上がる。
後半は、かんから三線のパーツを組み立て、デコレーションして完成。
一緒に「かんから三線うむしるむん」は、練習時間がなく、
一緒に演奏はできなかったが、沖縄民謡を披露。
その後、子ども達の初披露となる伝統芸能「虎舞」の演舞に、逆に励まされた自分がいた。
正直、何故か熱いものが込み上げてきて、涙をこらえるのに必死でした。
佐賀敏子校長をはじめ、先生方の教育、特に子ども達への深い愛情を感じました。
あっという間に、午前の授業を終え、昼食は、復活した「かき小屋」(昼食)にて牡蠣の食べ放題。
何年間分食べたのではないでしょうか。大満足。
他のお客さんからのリクエストで沖縄民謡演奏。最後は全員で、カチャーシー。
ここは沖縄?と思うような岩手の昼下がりであった。
港の近くまで車で案内され、瓦礫の山や更地等にまたもや言葉も出ない。
プラットホームは残っているが、線路はなし。木は燃えて焼けて真っ黒。またしても無言。虚脱感のみ。
「仮設住宅でのコンサート」では、なかなか前を向いて演奏できない自分がいる。
ここでも子ども達やお年寄りの笑顔に癒される。
夕方は、佐々木先生、スタッフ、学校の先生方との交流会。
場所は、「酒と肴 千 ささき」(プレハブで再スタートをきったとの事)。
自己紹介や三線でのうた会。最後はやはりカチャーシー。沖縄と何にも変わらない。
変わっているのは、外の温度がマイナスだという事。
ここの人達の心の温度は沖縄以上にあたたかい。
まさに「いちゃりばちょーでー」。
その勢いで、2次会へ。場所はちょっとおしゃれなショットバー。ここでも三線コンサート。
帰り際に、マスターの娘さんが山田南小学校5年生(今日の授業を受けていた)と聞き、
これまたビックリ!なんと狭い事か。と思いつつホテルへ。
朝早くから遅くまで、車で送迎してくれた佐々木先生、堂田さん本当に心から感謝します。
ありがとうございました。
3日目:~後ろ髪をひかれつつ沖縄へ~
朝バス停へ。すでに行列ができていた。
前の日、遅くまで付き合ってくれ、しかも勤務があるにもかかわらず、
佐々木先生が岩手日報(山田南小学校でのかんから三線の記事掲載された)を
人数分持ってきてくれて、大感激。
姿が見えなくなるまで、手を振ってくれていた。
盛岡駅に着くと、お土産購入と腹ごしらえ。
新幹線へ乗り込んだとたん、少し肩の荷が下り、リラックスし小宴会で盛り上がる。
電車、モノレールで羽田空港着。
「カレーが食べたい」とのキャプテンのリクエストに男3人で羽田カレーを食べる。
お土産を買い足し、搭乗口へ移動。
「飛行機」が出発するまでのハプニングについては、個人情報保護もあり、他の人の記事に委ねる。
飛行機での爆睡後、那覇空港へ到着。解散となる。
今回の岩手訪問を通して、出会った岩手の人たちの暖かさをすごく感じました。
それと子ども達や仮設住宅の人達は、何かに夢中になっている時は、
そんなに感じないのかも知れませんが、学校や集いから帰って一人になった時とかに、
「何を感じ、何を思い出すのだろうか?」と思いました。
「忘れられないもの」「忘れてはいけないもの」「忘れたいもの」等あるでしょうけれども、
2012年3月11日、被災1年目を迎えた時に、「どう感じるのだろう?」「自分にできる事は何だろう?」
色々な事を宿題として持ち帰り、答えは見つかるかわかりませんが、自分なりに考え続けたいと思います。
今回は、正味1日だけ(往復移動2日間)の訪問でしたが、
できれば、次回にもう少し、できれば1週間位訪問したいと思いました。
1週間でも短いのかも知れませんが、「共に同じ時間・空間・場所にいる」という事で、
少しは共感できる部分も見えてくるような気がします。
「これからがスタートだ。」そう心の中でつぶやきつつペンをおく事にします。
作業療法士 安里 克也
岩手県山田南小学校訪問に加わることになった。
短い様な気もしたが、業務上、2泊3日での強行スケジュール。
「一度は行ってみたい」「でも何ができるのだろう」「単なる励ましは何にもならない」
「頑張って」「元気だして」ではなく、「そばにいる」「同じ時を過ごす」という事しかできない。
いろいろな思いを抱きつつ、また井上陽水さんの「氷の世界」が頭でリフレイン中、
まずは、ユニクロへヒートテック(パッチと呼ばないらしい)なるものを購入し、いざ出発!
1日目:~飛行機、モノレール、電車、バスでの移動~
那覇空港より羽田空港まで飛行機で2時間半。
栃木から2時間かけて来た元同僚とモノレール、電車で30分。
元同僚とは東京駅にてお別れ。
日本酒とつまみ等をいただき、各自弁当を購入し、東京駅より盛岡まで新幹線で2時間半。
雪のちらつく中、盛岡からバスにて宮古市まで2時間半。
約8時間。さすがに遠い所へきた印象。外の空気はやはり冷たい。
ホテルでチェックインし、交流会場所へ移動。
交流会場所までの道のりは、さすがに寒く、若干1名震えていた。
楽しい交流会を終え、最後の締めは、お勧めの冷麺を食べるために移動。
皆が冷麺を食べる中、震えていた若干1名は熱いラーメンをすすっていた。
しかし、震えながらも彼はダジャレは言い続けていた。
2日目:~「岩手県宮古市山田町立南小学校」へ~
小学校へ行くまでの道のりを海岸沿いに車で移動
⇒1年近くたっての現状、防波堤や更地をみて言葉も出ない。
小学校に着くと、素敵な文字で歓迎のお出迎え。嬉しかった。
エイサー姿、琉装姿、チョンダラー姿の3人を筆頭にいざ授業へ!
「すべる」「寒い」「無反応」関係なく、ローカルネタでしゃべり続けるエイサー男。
その時タイミングよくチョンダラー男が、本物のうーじ(サトウキビ)を膝で折り、
歯で皮をむいて、しゃぶる見本演技。一気にヒートアップし、子ども達に歓声が上がる。
後半は、かんから三線のパーツを組み立て、デコレーションして完成。
一緒に「かんから三線うむしるむん」は、練習時間がなく、
一緒に演奏はできなかったが、沖縄民謡を披露。
その後、子ども達の初披露となる伝統芸能「虎舞」の演舞に、逆に励まされた自分がいた。
正直、何故か熱いものが込み上げてきて、涙をこらえるのに必死でした。
佐賀敏子校長をはじめ、先生方の教育、特に子ども達への深い愛情を感じました。
あっという間に、午前の授業を終え、昼食は、復活した「かき小屋」(昼食)にて牡蠣の食べ放題。
何年間分食べたのではないでしょうか。大満足。
他のお客さんからのリクエストで沖縄民謡演奏。最後は全員で、カチャーシー。
ここは沖縄?と思うような岩手の昼下がりであった。
港の近くまで車で案内され、瓦礫の山や更地等にまたもや言葉も出ない。
プラットホームは残っているが、線路はなし。木は燃えて焼けて真っ黒。またしても無言。虚脱感のみ。
「仮設住宅でのコンサート」では、なかなか前を向いて演奏できない自分がいる。
ここでも子ども達やお年寄りの笑顔に癒される。
夕方は、佐々木先生、スタッフ、学校の先生方との交流会。
場所は、「酒と肴 千 ささき」(プレハブで再スタートをきったとの事)。
自己紹介や三線でのうた会。最後はやはりカチャーシー。沖縄と何にも変わらない。
変わっているのは、外の温度がマイナスだという事。
ここの人達の心の温度は沖縄以上にあたたかい。
まさに「いちゃりばちょーでー」。
その勢いで、2次会へ。場所はちょっとおしゃれなショットバー。ここでも三線コンサート。
帰り際に、マスターの娘さんが山田南小学校5年生(今日の授業を受けていた)と聞き、
これまたビックリ!なんと狭い事か。と思いつつホテルへ。
朝早くから遅くまで、車で送迎してくれた佐々木先生、堂田さん本当に心から感謝します。
ありがとうございました。
3日目:~後ろ髪をひかれつつ沖縄へ~
朝バス停へ。すでに行列ができていた。
前の日、遅くまで付き合ってくれ、しかも勤務があるにもかかわらず、
佐々木先生が岩手日報(山田南小学校でのかんから三線の記事掲載された)を
人数分持ってきてくれて、大感激。
姿が見えなくなるまで、手を振ってくれていた。
盛岡駅に着くと、お土産購入と腹ごしらえ。
新幹線へ乗り込んだとたん、少し肩の荷が下り、リラックスし小宴会で盛り上がる。
電車、モノレールで羽田空港着。
「カレーが食べたい」とのキャプテンのリクエストに男3人で羽田カレーを食べる。
お土産を買い足し、搭乗口へ移動。
「飛行機」が出発するまでのハプニングについては、個人情報保護もあり、他の人の記事に委ねる。
飛行機での爆睡後、那覇空港へ到着。解散となる。
今回の岩手訪問を通して、出会った岩手の人たちの暖かさをすごく感じました。
それと子ども達や仮設住宅の人達は、何かに夢中になっている時は、
そんなに感じないのかも知れませんが、学校や集いから帰って一人になった時とかに、
「何を感じ、何を思い出すのだろうか?」と思いました。
「忘れられないもの」「忘れてはいけないもの」「忘れたいもの」等あるでしょうけれども、
2012年3月11日、被災1年目を迎えた時に、「どう感じるのだろう?」「自分にできる事は何だろう?」
色々な事を宿題として持ち帰り、答えは見つかるかわかりませんが、自分なりに考え続けたいと思います。
今回は、正味1日だけ(往復移動2日間)の訪問でしたが、
できれば、次回にもう少し、できれば1週間位訪問したいと思いました。
1週間でも短いのかも知れませんが、「共に同じ時間・空間・場所にいる」という事で、
少しは共感できる部分も見えてくるような気がします。
「これからがスタートだ。」そう心の中でつぶやきつつペンをおく事にします。
作業療法士 安里 克也
2012年04月07日
活動予定
新しい年度に入りましたが、おでんそーれの活動は絶賛継続中です。
まずは、おでんそーれ代表が何かの撮影を行っております。
何の撮影だかわかりますか?

実はこれ、コミュニティラジオFMなはさんの収録スタジオで、
田村さんのマジカルミステリーツアーという番組に出演させていただいた時の一コマなのです。
先月はメンバーが各コミュニティラジオに出演してきましたが
代表、満を持しての登場です。
もちろん、田村さんともパチリ。

中途半端なガッツポーズにも見えますが、
これは、エア三線を弾いているところですねー
田村さんにも合わせていただき、ありがとうございました。
ラジオは、4月20日オンエアだそうです。
オンタイムで聞けなかった時は、ポッドキャストもあるそうなので
よかったらぜひお聞き下さい。
収録の帰りは、お食事。
首里の瑞泉酒造さんのすぐお隣にあるお店「夢適」さんです。
明日はお仕事なのでー、と堅い意思をもってジンジャエール。
と言いたいところですが、自分に甘いのでジンバックをゴクリ。
その後はもちろん泡盛。
お酒が欠かせない活動です。
夢適さんでは、大きなシアターを使える個室があるとのことで、
おでんそーれの報告会を予定しています。
今回はその下見だったので、酔っぱらう前に打ち合わせを行い、
「おでんそーれ報告会in夢適」
が実現することになりました。
楽しみ。
たくさんの写真と映像を撮ってきたのですが、
なかなか観ていただく、報告させていただく機会がなかったので
この報告会を通してたくさんの方に
山田南小学校の子どもたちの笑顔と感動を
お届けできればいいな、と思っています。
まずは、おでんそーれ代表が何かの撮影を行っております。
何の撮影だかわかりますか?

実はこれ、コミュニティラジオFMなはさんの収録スタジオで、
田村さんのマジカルミステリーツアーという番組に出演させていただいた時の一コマなのです。
先月はメンバーが各コミュニティラジオに出演してきましたが
代表、満を持しての登場です。
もちろん、田村さんともパチリ。

中途半端なガッツポーズにも見えますが、
これは、エア三線を弾いているところですねー
田村さんにも合わせていただき、ありがとうございました。
ラジオは、4月20日オンエアだそうです。
オンタイムで聞けなかった時は、ポッドキャストもあるそうなので
よかったらぜひお聞き下さい。
収録の帰りは、お食事。
首里の瑞泉酒造さんのすぐお隣にあるお店「夢適」さんです。
明日はお仕事なのでー、と堅い意思をもってジンジャエール。
と言いたいところですが、自分に甘いのでジンバックをゴクリ。
その後はもちろん泡盛。
お酒が欠かせない活動です。
夢適さんでは、大きなシアターを使える個室があるとのことで、
おでんそーれの報告会を予定しています。
今回はその下見だったので、酔っぱらう前に打ち合わせを行い、
「おでんそーれ報告会in夢適」
が実現することになりました。
楽しみ。
たくさんの写真と映像を撮ってきたのですが、
なかなか観ていただく、報告させていただく機会がなかったので
この報告会を通してたくさんの方に
山田南小学校の子どもたちの笑顔と感動を
お届けできればいいな、と思っています。
2012年04月06日
驚き ワン! ツー!! スリー!!!
この3日間は本当に濃厚な日々でした。
そして私にとっては、いろんなところで驚きを感じることができた3日間でした。
驚きその1~人との縁~
沖縄と岩手。距離はすっごく離れているのに、そんな中でも知り合い同士が繋がっていたり、
友達に会える人がいたり、飲みに行ったバーの店長さんが授業をしたクラスのお父さんだったり・・・。
他にもいっぱい偶然の(?)つながりがありました。
「縁って繋がっていくんだ~!」と驚きをもって実感できました。
そして、今回出会えた方達との縁。
佐々木先生をはじめ、オデンセ山田のみなさん、山田南小学校の子ども達や先生達、3年2組の皆さん、
募金活動で出会えた人達…
皆さんと逢い、様々な場面で自分の考えを超える強さや思いやりに出会うことができました。
この縁がつながっていくといいな。
驚きその2~想いのパワー~
皆が書いていると思いますが、一番こころが動かされたのは、子ども達の虎舞。
女の子達の演奏やハヤシ、男の子達の演技、どこをとっても素晴らしかった。
授業中は無邪気さが感じられる笑顔を見せてくれていた子供たちが、
凛としていて、かなりの練習を重ねただろうことが伝わってきて、本当に感動しました。
山田南小学校の先生方や佐々木先生、堂田さんには、いたるところで気配りをいただきました。
また、生徒達へのやわらかな眼差しや声かけをいたるところで見せていただき、
こころを動かされ続けていました。そして、人との関わり方を改めて学べたような感じです。
また、3年2組のお土産届けたい皆さんを初め、
沖縄で出会えた人からも、強い想いや真っ直ぐな気持ちの伝え方など、
今までの私にはない考え方や関わり方に出会えました。
今回、自分は運良く(皆さんのサポートを受けて)山田町までうかがうことができたのですが、
行けなかった人達からの思いをもらい、そこから多くのパワーもらえたと思っています。
その想いもきっと山田町の皆さんに伝わったと思っています。
驚きその3~自分の気持ち~
小学校から牡蠣小屋に向かう途中、津波の影響を受けたままの景色を見ながら、
子供たちのことを考えていると、涙が止まらなくなってしまいました(運転手だったのに怖いですね~)。
自分は、それほど感情は揺れ動いているつもりはなかったので、
「あれ?思った以上に自分の気持ちは整理できていないの??」って驚いてしまいました。
そして、そこで生活している人たちの複雑で、
私には想像すらできない感情を抱えながら生活されているだろうことを改めて考える機会になりました。
まだまだ語りつくせないのですが、この辺で感想第1弾を終了します。
ビギンとのコラボを夢見て、三線を練習します!
作業療法士
吉ケ島 明子
そして私にとっては、いろんなところで驚きを感じることができた3日間でした。
驚きその1~人との縁~
沖縄と岩手。距離はすっごく離れているのに、そんな中でも知り合い同士が繋がっていたり、
友達に会える人がいたり、飲みに行ったバーの店長さんが授業をしたクラスのお父さんだったり・・・。
他にもいっぱい偶然の(?)つながりがありました。
「縁って繋がっていくんだ~!」と驚きをもって実感できました。
そして、今回出会えた方達との縁。
佐々木先生をはじめ、オデンセ山田のみなさん、山田南小学校の子ども達や先生達、3年2組の皆さん、
募金活動で出会えた人達…
皆さんと逢い、様々な場面で自分の考えを超える強さや思いやりに出会うことができました。
この縁がつながっていくといいな。
驚きその2~想いのパワー~
皆が書いていると思いますが、一番こころが動かされたのは、子ども達の虎舞。
女の子達の演奏やハヤシ、男の子達の演技、どこをとっても素晴らしかった。
授業中は無邪気さが感じられる笑顔を見せてくれていた子供たちが、
凛としていて、かなりの練習を重ねただろうことが伝わってきて、本当に感動しました。
山田南小学校の先生方や佐々木先生、堂田さんには、いたるところで気配りをいただきました。
また、生徒達へのやわらかな眼差しや声かけをいたるところで見せていただき、
こころを動かされ続けていました。そして、人との関わり方を改めて学べたような感じです。
また、3年2組のお土産届けたい皆さんを初め、
沖縄で出会えた人からも、強い想いや真っ直ぐな気持ちの伝え方など、
今までの私にはない考え方や関わり方に出会えました。
今回、自分は運良く(皆さんのサポートを受けて)山田町までうかがうことができたのですが、
行けなかった人達からの思いをもらい、そこから多くのパワーもらえたと思っています。
その想いもきっと山田町の皆さんに伝わったと思っています。
驚きその3~自分の気持ち~
小学校から牡蠣小屋に向かう途中、津波の影響を受けたままの景色を見ながら、
子供たちのことを考えていると、涙が止まらなくなってしまいました(運転手だったのに怖いですね~)。
自分は、それほど感情は揺れ動いているつもりはなかったので、
「あれ?思った以上に自分の気持ちは整理できていないの??」って驚いてしまいました。
そして、そこで生活している人たちの複雑で、
私には想像すらできない感情を抱えながら生活されているだろうことを改めて考える機会になりました。
まだまだ語りつくせないのですが、この辺で感想第1弾を終了します。
ビギンとのコラボを夢見て、三線を練習します!
作業療法士
吉ケ島 明子
2012年04月05日
「おでんそーれ」に参加して
横田先生の発案した「おでんそーれ」:「カンカラ三線を東北の子供たちに届ける」
オリブ山病院に入職して3ヶ月目にこの企画を伺い、
興味を持った私は、最初の三線作りに参加しました。
東北まで行けるかどうかは半信半疑で、その後の準備には参加できないまま。
しかし、横田先生の呼びかけるブログ、
同じ時期に新聞記事で目的地の山田町のことが連載されており、
一度は行かなければいけないと思っていた被災地、心が動きました。
そして「自分も行く」と言う娘と一緒に出かけることになりました。
夫は仕事があり、残りの子供たちは受験を控えていたので、今回は参加できませんでしたが、
快く送り出してくれました。
国際通りでの募金活動で協力してくださった皆様、
お土産もたせたい「3年2組」の皆様。手作りのお菓子や準備の品の数々。
勤務の都合で今回参加はできなかったかたがた。
本当はみんな東北へ行きたい。
何かできることを常に考えていらっしゃることを心に留めて参加させていただきました。
宮古市の夕食会へ向かいながら、
沖縄出身の高橋さんから、当時の津波の水位と
店向かいの駐車場と思っていたところも流されたところであると聞かされ、
海の気配を感じないところにまでと考えると言葉が出てきません。
「瓦礫を皆さんスーツケース一つずつ持って帰ってね。」とおっしゃっていました。
翌日、山田町の小学校へ向かう途中、津波の跡にますます言葉を失いました。
高い堤防の側を車で走っていると、海は見えません。
海に近いほど海は見えません。そして、今でこそ分類されている瓦礫。
電信柱、海の浮き、木材や金属の山。たくさんの積まれた車、
かろうじて跡を残す線路。焼け焦げた樹木。
高橋さんのおっしゃる意味がようやくわかりました。
当時の様子を思うと、創造を絶するものであります。
しかし、現実という重さ。
かんから三線にどのような反応をみせるのか、不安のほうが強く感じてしまいました。
山田南小学校の先生方、子供たちの明るい笑顔に、心の底からこちらが励まされました。
ひたむきな「虎舞」の演舞、演奏に涙が出そうでした。(ここは我慢)
先生方、ご家族や大人の方々の見守りや愛情の深さを覚えます
この小学校が、被災を避け、病院となり避難所となり、様々な機能をしていたこと。
先生方、住民の方々、ボランティアの方々の協力で
9月からようやく子供たちの戻る学校となったそうです。
その最後の消毒を任され、感無量だったという保健師の尾無さん。
震災の3月は24時間体制で動いていたという責任感の強さに頭が下がりました。
読み聞かせボランティアの看護師さん。
ご自宅も津波で流され、ライフワークの絵本たち500冊ももっていかれたそうです。
静かにその当時のことをお話して下さいました。
「仮設住宅のトイレの水が凍っている。」娘は始めての雪や氷を見て驚きながら、
仮設の寒さを改めて実感しながら、生活している皆様の健康が守られるように祈ります。
今回、心のケアチームの佐々木先生とお友達の堂田さんには本当にお世話になりました。
「かんから三線」とつながる学校探し、車の運転、お食事の場からご馳走、
山田南小学校の子供たちが三線を作っているところが載っている朝刊を、
私たちが出発するバスに乗り込んでまで届けてくださる行動には、
どっちが支援をする立場だっけ?と本当に頭が下がる気持ちと
佐々木先生のすごさを感動しながら今も書いています。
「つながっていくこと、寄り添い続けること」優しいことばだけど、
実践するのは心からの思いやりと忍耐が求められます。
自然体でさりげなく実践なさっていらっしゃることその大切さを学びました。
人を元気づけるって難しいです。
「どんなに、元気の出るようなことを上に積んでも、ベースが・・・」というお話も伺いました。
家族を、親戚を、家を失うということの苦しさを思うと胸が張り裂けてしまう自分もいます。
ほんの少しだけ訪問した私には何もえらそうなことは言えないのですが、
マズローのニード論のピラミッドをたとえると、きっと上に積んでいるというより、
衣食住・生理的ニードよりのもっと深いベースの活動を
佐々木先生はじめ、心のケアチームは、実践なさっていらっしゃると思いました。
また、お一人お一人の笑顔や穏やかな様子がお互いを支えていらっしゃることとも実感いたしました。
食事会の後に寄った、カフェバーのマスターさんが5年生のお父様と言うことをうかがいました。
「かんから三線」子供たちが各々家に持ち帰って、少しでも笑顔や話の輪が広がりますように。
子どもたちからも「・・・これからも続きますように」の言葉への責任も感じながら。
たくさんの方々にお会いできましたこと、お話を伺えましたこと、
参加させていただいたことすべてに感謝申しあげます。
震災の映像から1年を迎えるにあたり、今週はテレビでもその映像が頻回に流れています。
一日も早く東北の皆様の穏やかな日々、笑顔が戻りますように。
平安をこころからお祈りしています。
看護師 屋比久 浩美
オリブ山病院に入職して3ヶ月目にこの企画を伺い、
興味を持った私は、最初の三線作りに参加しました。
東北まで行けるかどうかは半信半疑で、その後の準備には参加できないまま。
しかし、横田先生の呼びかけるブログ、
同じ時期に新聞記事で目的地の山田町のことが連載されており、
一度は行かなければいけないと思っていた被災地、心が動きました。
そして「自分も行く」と言う娘と一緒に出かけることになりました。
夫は仕事があり、残りの子供たちは受験を控えていたので、今回は参加できませんでしたが、
快く送り出してくれました。
国際通りでの募金活動で協力してくださった皆様、
お土産もたせたい「3年2組」の皆様。手作りのお菓子や準備の品の数々。
勤務の都合で今回参加はできなかったかたがた。
本当はみんな東北へ行きたい。
何かできることを常に考えていらっしゃることを心に留めて参加させていただきました。
宮古市の夕食会へ向かいながら、
沖縄出身の高橋さんから、当時の津波の水位と
店向かいの駐車場と思っていたところも流されたところであると聞かされ、
海の気配を感じないところにまでと考えると言葉が出てきません。
「瓦礫を皆さんスーツケース一つずつ持って帰ってね。」とおっしゃっていました。
翌日、山田町の小学校へ向かう途中、津波の跡にますます言葉を失いました。
高い堤防の側を車で走っていると、海は見えません。
海に近いほど海は見えません。そして、今でこそ分類されている瓦礫。
電信柱、海の浮き、木材や金属の山。たくさんの積まれた車、
かろうじて跡を残す線路。焼け焦げた樹木。
高橋さんのおっしゃる意味がようやくわかりました。
当時の様子を思うと、創造を絶するものであります。
しかし、現実という重さ。
かんから三線にどのような反応をみせるのか、不安のほうが強く感じてしまいました。
山田南小学校の先生方、子供たちの明るい笑顔に、心の底からこちらが励まされました。
ひたむきな「虎舞」の演舞、演奏に涙が出そうでした。(ここは我慢)
先生方、ご家族や大人の方々の見守りや愛情の深さを覚えます
この小学校が、被災を避け、病院となり避難所となり、様々な機能をしていたこと。
先生方、住民の方々、ボランティアの方々の協力で
9月からようやく子供たちの戻る学校となったそうです。
その最後の消毒を任され、感無量だったという保健師の尾無さん。
震災の3月は24時間体制で動いていたという責任感の強さに頭が下がりました。
読み聞かせボランティアの看護師さん。
ご自宅も津波で流され、ライフワークの絵本たち500冊ももっていかれたそうです。
静かにその当時のことをお話して下さいました。
「仮設住宅のトイレの水が凍っている。」娘は始めての雪や氷を見て驚きながら、
仮設の寒さを改めて実感しながら、生活している皆様の健康が守られるように祈ります。
今回、心のケアチームの佐々木先生とお友達の堂田さんには本当にお世話になりました。
「かんから三線」とつながる学校探し、車の運転、お食事の場からご馳走、
山田南小学校の子供たちが三線を作っているところが載っている朝刊を、
私たちが出発するバスに乗り込んでまで届けてくださる行動には、
どっちが支援をする立場だっけ?と本当に頭が下がる気持ちと
佐々木先生のすごさを感動しながら今も書いています。
「つながっていくこと、寄り添い続けること」優しいことばだけど、
実践するのは心からの思いやりと忍耐が求められます。
自然体でさりげなく実践なさっていらっしゃることその大切さを学びました。
人を元気づけるって難しいです。
「どんなに、元気の出るようなことを上に積んでも、ベースが・・・」というお話も伺いました。
家族を、親戚を、家を失うということの苦しさを思うと胸が張り裂けてしまう自分もいます。
ほんの少しだけ訪問した私には何もえらそうなことは言えないのですが、
マズローのニード論のピラミッドをたとえると、きっと上に積んでいるというより、
衣食住・生理的ニードよりのもっと深いベースの活動を
佐々木先生はじめ、心のケアチームは、実践なさっていらっしゃると思いました。
また、お一人お一人の笑顔や穏やかな様子がお互いを支えていらっしゃることとも実感いたしました。
食事会の後に寄った、カフェバーのマスターさんが5年生のお父様と言うことをうかがいました。
「かんから三線」子供たちが各々家に持ち帰って、少しでも笑顔や話の輪が広がりますように。
子どもたちからも「・・・これからも続きますように」の言葉への責任も感じながら。
たくさんの方々にお会いできましたこと、お話を伺えましたこと、
参加させていただいたことすべてに感謝申しあげます。
震災の映像から1年を迎えるにあたり、今週はテレビでもその映像が頻回に流れています。
一日も早く東北の皆様の穏やかな日々、笑顔が戻りますように。
平安をこころからお祈りしています。
看護師 屋比久 浩美
2012年04月04日
おでんそーれ~カンカラ三線届けたい~
2月19日~21日の日程で岩手県・山田町・山田南小学校に参加しての感想は・・・
私の思いとしては、3月11日にテレビの画像を観て、「なんじゃこりゃー」映画を観ているような、
夢のような。知人が岩手県出身が居る家族は、知人が住んでいる安否は、どうしよう、大丈夫だろうか。
もたもたしながらも数日後に安否確認、安心した。
それから職場には「心の支援チームの派遣」話がきて希望者がつのられた時は、
参加し役に立ちたいと思ったが諸事情で参加することができなかった。
自分にも何か出来ることがあるんじゃないかな。
そこで、おでんそーれの話題を耳にして、三線は弾けない自分だけに
どれだけの事ができるか不安だったが目標実現に向けて準備していった。
いよいよ、出発の日が決まり参加はしたいが家庭の事情で出来そうにない。
参加しないと後悔しそうで反対をおしきり決意した。
出発の日も決まったことにより募金活動が新聞に掲載されたり、
街頭募金をしたりで周りの方々の協力には凄く感謝しています。
寄付を頂いた多くの皆さん、国際通りでの募金、まちだ屋、3年2組のお土産隊の皆様等には
本当にありがたく感謝です。
三線の練習を寝ても起きてもやったなー、ベット上でかなり練習したし、
カラオケにもアルコール抜きで練習しにいったなー。
出発当日、昨夜は息子の結納がありお酒が残っているような体調でしたが意気込んでいました。
那覇空港には横田奥さん、仲地さん、佐藤さん、
3年2組のお土産隊の皆さんが見送りに来てくれてありがとう。
羽田空港では野尻さんが向かえ新幹線乗り場まで同行してもらい、
移動中に飲んでと宇都宮日本酒とつまみを準備していていい感じで移動ができました。
久々の駅弁も美味しく食べました。
お土産隊の準備して頂いた「きび」を持ち歩くのにかなりのユーモアがありましたなー。
思っていたより寒くはなかった。
盛岡に着くと雪が降っていて感触をあじわいたかったが
バスの時間がおしていて出来なかったのが残念だった。
朝、6:30に自宅を出て宮古市に着いたのが19:00頃だったかな。
到着と同時にだめもとで地元の知人に電話した。
高校まで一緒に学んだ奴で(高橋晃)30年程会ってなかったので
びっくりして何故ここに居るのか?とりあえず会って食事でも・・。
佐々木先生、晃、おでんそーれメンバーで居酒屋で夕食した。
飲食店も被災していて建て直したばかりだった。
晃の話によると
被災した病院のがれきを片付けるのに困っていると、
飲食店も被災しているので殆どプレハブで夜は地元の方々はあまり利用しない。
ボランティアの方々が多いかな。
遅くまでお店を利用しお金をおとして「ありがとう」
とのこと。
今日は本番、ホテルからチョンダラーの衣装で
佐々木先生のチームで山田南小学校への送迎をして頂き、
小学校へ向かう途中、震災のつめ痕が残る現場を通過、気分が悪く一瞬めまいが・・・。
学校へ着くと歓迎ムードでカンバンも掲げられ校長先生初め、先生方に迎えられた。
いざ本番では沖縄の歴史を紹介し伊佐さんが言葉たくみに授業しているが今一ムードがでない。
予定していなかった「きび」の食べ方の実演をすることになり
子供達が急に活気づき、好奇心いっぱいで良かったな。
カンカラ三線作りは部品が割れたりハプニングがあり、シール貼り等で時間がおし
子供達と実演することができなくてとても残念で心のこりです。
教室から体育館に場所を移動し、地元の伝統芸能、「虎舞」を披露してくれました。
完成度がたかくて、かなり練習したんだなー感動して涙がでました。
子供達からあるいみ「力」をもらいました。
最後に一緒にカチャシーを踊り最高な気分でした。
絶対に沖縄に来てもらい首里城あたりでカンカラ三線うむしるむんを弾いてみたいなー。
お昼に「かき小屋」にて牡蠣の食べ放題の初体験。
40~50個食べたんじゃないかなー、食べ過ぎたぞ!
メンバー琉球衣装を着ていたせいもあるのか、お客さん、店員も一緒にかチャーシー。
本当にいちゃりばちょうでーだな。僕はこの場で化粧をおとす。
山田南小学校向かいの仮設住宅でのミニコンサートも
佐々木先生がお願いしていた盛岡からのフォークメンバーや、おでんそーれのメンバーで盛り上げ、
お土産隊のおみやげも好評だった。学校帰りの子供も来てくれて盛大にカチャーシーで笑顔で終えた。
夕は居酒屋で「おでんそーれ」「盛岡チーム」「佐々木先生チーム」「学校長チーム」との交流会。
食べて、飲んで、歌って、弾いて、最近にない本当に楽しかった。
特に校長先生の笑顔が素敵だった。
食べ物も海の幸が豊富で特にわかめ、毛蟹のかにみそ酒は美味しかったなー。
二次会も参加しバーに行き、
そこでの偶然が店主が山田南小学校の5年生の父親だとわかり話がはずんだなー。
かなり飲みました。
ホテルに帰り同部屋ではお互いに爆音訴訟をと大音量を聞かせたようです。
最終移動日、二日酔いかなという感じ。
バスの見送りに佐々木先生がおでんそーれの活躍が記載された新聞を全員分持って来てくれて
とてもいい笑顔で送ってもらい感謝です。
盛岡に着き駅前には、かまくらが作られていて中には「絆」と書いていて、いい言葉だなと思いました。
新幹線の中では暑くてついに肌シャツ一枚になっちゃいました。
お土産もお世話になった方々に沢山買いました。
帰りの飛行機に乗り遅れそうなメンバーの館内、機内アナウンスがあり笑っちゃいました。
ホテルを8時に出て那覇空港19時頃着、おでんそーれ家族の迎えがあり、
私が自宅に着いたのが21時で有意義の2泊3日でした。お疲れ様でした。
ちょんだらー
看護師 知花 菊治
私の思いとしては、3月11日にテレビの画像を観て、「なんじゃこりゃー」映画を観ているような、
夢のような。知人が岩手県出身が居る家族は、知人が住んでいる安否は、どうしよう、大丈夫だろうか。
もたもたしながらも数日後に安否確認、安心した。
それから職場には「心の支援チームの派遣」話がきて希望者がつのられた時は、
参加し役に立ちたいと思ったが諸事情で参加することができなかった。
自分にも何か出来ることがあるんじゃないかな。
そこで、おでんそーれの話題を耳にして、三線は弾けない自分だけに
どれだけの事ができるか不安だったが目標実現に向けて準備していった。
いよいよ、出発の日が決まり参加はしたいが家庭の事情で出来そうにない。
参加しないと後悔しそうで反対をおしきり決意した。
出発の日も決まったことにより募金活動が新聞に掲載されたり、
街頭募金をしたりで周りの方々の協力には凄く感謝しています。
寄付を頂いた多くの皆さん、国際通りでの募金、まちだ屋、3年2組のお土産隊の皆様等には
本当にありがたく感謝です。
三線の練習を寝ても起きてもやったなー、ベット上でかなり練習したし、
カラオケにもアルコール抜きで練習しにいったなー。
出発当日、昨夜は息子の結納がありお酒が残っているような体調でしたが意気込んでいました。
那覇空港には横田奥さん、仲地さん、佐藤さん、
3年2組のお土産隊の皆さんが見送りに来てくれてありがとう。
羽田空港では野尻さんが向かえ新幹線乗り場まで同行してもらい、
移動中に飲んでと宇都宮日本酒とつまみを準備していていい感じで移動ができました。
久々の駅弁も美味しく食べました。
お土産隊の準備して頂いた「きび」を持ち歩くのにかなりのユーモアがありましたなー。
思っていたより寒くはなかった。
盛岡に着くと雪が降っていて感触をあじわいたかったが
バスの時間がおしていて出来なかったのが残念だった。
朝、6:30に自宅を出て宮古市に着いたのが19:00頃だったかな。
到着と同時にだめもとで地元の知人に電話した。
高校まで一緒に学んだ奴で(高橋晃)30年程会ってなかったので
びっくりして何故ここに居るのか?とりあえず会って食事でも・・。
佐々木先生、晃、おでんそーれメンバーで居酒屋で夕食した。
飲食店も被災していて建て直したばかりだった。
晃の話によると
被災した病院のがれきを片付けるのに困っていると、
飲食店も被災しているので殆どプレハブで夜は地元の方々はあまり利用しない。
ボランティアの方々が多いかな。
遅くまでお店を利用しお金をおとして「ありがとう」
とのこと。
今日は本番、ホテルからチョンダラーの衣装で
佐々木先生のチームで山田南小学校への送迎をして頂き、
小学校へ向かう途中、震災のつめ痕が残る現場を通過、気分が悪く一瞬めまいが・・・。
学校へ着くと歓迎ムードでカンバンも掲げられ校長先生初め、先生方に迎えられた。
いざ本番では沖縄の歴史を紹介し伊佐さんが言葉たくみに授業しているが今一ムードがでない。
予定していなかった「きび」の食べ方の実演をすることになり
子供達が急に活気づき、好奇心いっぱいで良かったな。
カンカラ三線作りは部品が割れたりハプニングがあり、シール貼り等で時間がおし
子供達と実演することができなくてとても残念で心のこりです。
教室から体育館に場所を移動し、地元の伝統芸能、「虎舞」を披露してくれました。
完成度がたかくて、かなり練習したんだなー感動して涙がでました。
子供達からあるいみ「力」をもらいました。
最後に一緒にカチャシーを踊り最高な気分でした。
絶対に沖縄に来てもらい首里城あたりでカンカラ三線うむしるむんを弾いてみたいなー。
お昼に「かき小屋」にて牡蠣の食べ放題の初体験。
40~50個食べたんじゃないかなー、食べ過ぎたぞ!
メンバー琉球衣装を着ていたせいもあるのか、お客さん、店員も一緒にかチャーシー。
本当にいちゃりばちょうでーだな。僕はこの場で化粧をおとす。
山田南小学校向かいの仮設住宅でのミニコンサートも
佐々木先生がお願いしていた盛岡からのフォークメンバーや、おでんそーれのメンバーで盛り上げ、
お土産隊のおみやげも好評だった。学校帰りの子供も来てくれて盛大にカチャーシーで笑顔で終えた。
夕は居酒屋で「おでんそーれ」「盛岡チーム」「佐々木先生チーム」「学校長チーム」との交流会。
食べて、飲んで、歌って、弾いて、最近にない本当に楽しかった。
特に校長先生の笑顔が素敵だった。
食べ物も海の幸が豊富で特にわかめ、毛蟹のかにみそ酒は美味しかったなー。
二次会も参加しバーに行き、
そこでの偶然が店主が山田南小学校の5年生の父親だとわかり話がはずんだなー。
かなり飲みました。
ホテルに帰り同部屋ではお互いに爆音訴訟をと大音量を聞かせたようです。
最終移動日、二日酔いかなという感じ。
バスの見送りに佐々木先生がおでんそーれの活躍が記載された新聞を全員分持って来てくれて
とてもいい笑顔で送ってもらい感謝です。
盛岡に着き駅前には、かまくらが作られていて中には「絆」と書いていて、いい言葉だなと思いました。
新幹線の中では暑くてついに肌シャツ一枚になっちゃいました。
お土産もお世話になった方々に沢山買いました。
帰りの飛行機に乗り遅れそうなメンバーの館内、機内アナウンスがあり笑っちゃいました。
ホテルを8時に出て那覇空港19時頃着、おでんそーれ家族の迎えがあり、
私が自宅に着いたのが21時で有意義の2泊3日でした。お疲れ様でした。
ちょんだらー
看護師 知花 菊治
2012年04月03日
今回「おでんそーれ」に参加して
「おでんそーれ」
沖縄と岩手を結ぶなんて素敵な言葉でしょうか。
お互いの温かい、熱い気持ちを表し、絆を深めていくメッセージの架け橋として
これからも、もっともっと広めていければと強く感じるようになりました。
今回、初めて東北、岩手を訪問するにあたり、どの程度の寒さなのか一抹の不安もありましたが、
3日間とも好天に恵まれ、私が行ったわりにはさほど寒く感じなかったのは以外でした(笑)
しかし、山田南小学校での授業の冒頭での私のトークは寒かったですね。
予想通り?すべりまくっていて、子どもたちにわかりやすいギャグを用意すればよかった、
と反省しています。
まぁ、救われたのは、チョンダラーとさとうきびのマッチングでした。
子どもたちにも笑顔が出てきて、その後の授業がとてもスムーズに行えました。
私なりに楽しく進められたのですが、やはり1時間という限られた時間では沖縄の歴史や文化、
沖縄戦とカンカラ三線について語るには予想以上に短く、準備していた半分も話せなかったので、
次回再びチャンスがあれば沖縄のことだけではなく、
岩手のことについても色々、教えてほしいなと思います。
後半のカンカラ三線の組み立てでは、組み立てるだけで精一杯で、
子どもたちと三線を一緒に弾けなかったのは心残りです。
そのためにも、今後、数回は山田南小学校への訪問を継続していきたいと思います。
子どもたちがお礼にと披露してくれた「虎舞」、
笛や太鼓とのコンビネーションも素晴らしく、鳥肌が立つほど感動しました。
ひたむきな子どもたちの団結力、地域に伝わる伝統芸能への真摯な姿は、
震災後の復興という点からも、とても頼もしくさえ感じました。
その後の仮設住宅でのミニコンサートでも楽しいひと時をすごさせてもらえました。
三線やギター、時折パーランクーも入れての歌や踊り、カチャーシーでは、
子どもからお年寄りの住人(民)も一体となって
お互いが笑顔で楽しく踊れたのはとてもいい思い出となりました。
その日の夜の慰労会は、校長先生をはじめ、教頭、担任の先生方も駆けつけて
かなり盛り上がりました。
佐々木先生や地域で復興に取り組む保健師、看護師さんも参加していただき、
これまでの苦労はなしを聞いていると、支援している方々の心が折れないよう、
そのための幅広い支援のあり方についても考えさせられたのです。
みなさんはほとんど最後まで付き合ってくださり、東北の方々の温かい気持ちに触れ、
一緒にカチャーシーを踊っていると、
沖縄のゆいまーるの心と相通ずる部分があるな、と感慨深くなりました。
おでんそーれに参加する中で、
直接は現地に行けなくてもずっと一緒に支えてくれた多くの支援者とも知り合え、
その熱い思いには本当に頭が下がりました。
それに山田町のみなさんの温かいもてなしと、子どもたちの純粋な笑顔に出会えたことは、
私の大きな宝です。またあの子どもたちの笑顔に会うために、近いうちぜひ、訪問したいと思っています。
今回、東北復興への一環として参加しましたが、
沖縄の戦後の復興という点からすると、沖縄は復興を成し遂げたといえるでしょうか。
未だに多くの基地を抱え、多くの問題が山積みしている沖縄の現状を考えたとき、
復興の基準ってなんだろう、と考えさせられます。
今後、東北も沖縄も真の復興へは時間がかかるでしょうが、
それぞれに風化させることなく、私も微力ながら関わっていきたいと思います。
旅芸人一座座長(エイサー担当)
精神保健福祉士 伊佐達治
沖縄と岩手を結ぶなんて素敵な言葉でしょうか。
お互いの温かい、熱い気持ちを表し、絆を深めていくメッセージの架け橋として
これからも、もっともっと広めていければと強く感じるようになりました。
今回、初めて東北、岩手を訪問するにあたり、どの程度の寒さなのか一抹の不安もありましたが、
3日間とも好天に恵まれ、私が行ったわりにはさほど寒く感じなかったのは以外でした(笑)
しかし、山田南小学校での授業の冒頭での私のトークは寒かったですね。
予想通り?すべりまくっていて、子どもたちにわかりやすいギャグを用意すればよかった、
と反省しています。
まぁ、救われたのは、チョンダラーとさとうきびのマッチングでした。
子どもたちにも笑顔が出てきて、その後の授業がとてもスムーズに行えました。
私なりに楽しく進められたのですが、やはり1時間という限られた時間では沖縄の歴史や文化、
沖縄戦とカンカラ三線について語るには予想以上に短く、準備していた半分も話せなかったので、
次回再びチャンスがあれば沖縄のことだけではなく、
岩手のことについても色々、教えてほしいなと思います。
後半のカンカラ三線の組み立てでは、組み立てるだけで精一杯で、
子どもたちと三線を一緒に弾けなかったのは心残りです。
そのためにも、今後、数回は山田南小学校への訪問を継続していきたいと思います。
子どもたちがお礼にと披露してくれた「虎舞」、
笛や太鼓とのコンビネーションも素晴らしく、鳥肌が立つほど感動しました。
ひたむきな子どもたちの団結力、地域に伝わる伝統芸能への真摯な姿は、
震災後の復興という点からも、とても頼もしくさえ感じました。
その後の仮設住宅でのミニコンサートでも楽しいひと時をすごさせてもらえました。
三線やギター、時折パーランクーも入れての歌や踊り、カチャーシーでは、
子どもからお年寄りの住人(民)も一体となって
お互いが笑顔で楽しく踊れたのはとてもいい思い出となりました。
その日の夜の慰労会は、校長先生をはじめ、教頭、担任の先生方も駆けつけて
かなり盛り上がりました。
佐々木先生や地域で復興に取り組む保健師、看護師さんも参加していただき、
これまでの苦労はなしを聞いていると、支援している方々の心が折れないよう、
そのための幅広い支援のあり方についても考えさせられたのです。
みなさんはほとんど最後まで付き合ってくださり、東北の方々の温かい気持ちに触れ、
一緒にカチャーシーを踊っていると、
沖縄のゆいまーるの心と相通ずる部分があるな、と感慨深くなりました。
おでんそーれに参加する中で、
直接は現地に行けなくてもずっと一緒に支えてくれた多くの支援者とも知り合え、
その熱い思いには本当に頭が下がりました。
それに山田町のみなさんの温かいもてなしと、子どもたちの純粋な笑顔に出会えたことは、
私の大きな宝です。またあの子どもたちの笑顔に会うために、近いうちぜひ、訪問したいと思っています。
今回、東北復興への一環として参加しましたが、
沖縄の戦後の復興という点からすると、沖縄は復興を成し遂げたといえるでしょうか。
未だに多くの基地を抱え、多くの問題が山積みしている沖縄の現状を考えたとき、
復興の基準ってなんだろう、と考えさせられます。
今後、東北も沖縄も真の復興へは時間がかかるでしょうが、
それぞれに風化させることなく、私も微力ながら関わっていきたいと思います。
旅芸人一座座長(エイサー担当)
精神保健福祉士 伊佐達治
2012年04月02日
知ること、つなぐこと、笑うこと~岩手県山田町を訪問して~
おでんそーれの活動をしながら、
「被災者への支援とは何だろうか、私にできることは何だろうか
、ひとりよがりにならない支援とはどんなものなのだろうか・・・・」
というようなことを、いろいろと考えました。もちろん答えは出ませんが、
この問いに向かい続けることが大切だとおもいました。
予想はしていましたが、訪れた山田町の現状は厳しいものでした。
住宅や商店が並んでいた地域は、コンクリートの残骸が一部残った荒地でした。
駅には線路がなく、プラットホームの一部が残っているだけ、
その横にはスクラップになり錆びた乗用車の残骸が積まれていました。
復興計画すらまとまっていない状況、
仮設の生活がいつまで続くのか先が見えない状況であるとのことでした。
そんな中にプレハブで営業を再開した飲食店があり、
今回はそういうお店で食事をさせていただきました。
山田南小学校では、被災直後には流された病院の代わりとして学校が機能したこと、
体育館が避難所となっていたこと、
現在は校庭に仮設住宅が建てられていることを教えてもらいました。
震災の影響で授業が大幅に遅れ、厳しいスケジュールをこなしてきたこと、
厳しいスケジュールにもかかわらず私たちの活動が子どもたちの力になるだろうと考えて、
先生方が受け入れを決めてくださったことなどをうかがいました。
学校の関係者、オデンセ山田のメンバー、山田町で心のケア活動をされている人・・・。
今回の訪問で出会ったたくさんの方々から、それぞれの被災体験やその後の経緯、
みなさんの心の動きなどを聞かせていただく機会がありました。当然のことでしょうが、
その一つ一つに、重みがあり、考えさせられることがありました。
行ってよかった、会えてよかった、知ることができてよかったと心から思います。
つらい状況を見て、つらい話を聞いて、自分も少しではあれつらいはずなのですが、
それをはるかに超えて、知ることができてよかったと心から思えます。
このことを大切にしたい、みんなに伝えたいと思います。
私は関西の出身ですが、縁あって沖縄に来て、オリブ山病院で働くようになりました。
たくさんの沖縄の人と出会い、沖縄の歴史・文化を知るようになりました。
短い文章の中ではとても言い尽くすことができませんが、
私の生き方、価値観が沖縄のおかげで大きく変わりました。
戦中、戦後の厳しい時代を生き抜いてきた人たちの知恵と力、
貧しく苦しい中でも笑顔を絶やさず助け合ってきた伝統の力が
沖縄の精神として今に至るまで保たれています。
カンカラ三線はそのシンボルの一つですが、私が感じるそういうもの(沖縄のチムグクル)を
東北の皆さんに伝えたいと思いました。
そして、私が尊敬する沖縄の人と東北の人とをつないでいきたいと思いました。
ブログでもいくつか紹介されていますが、
声を上げてみると驚くほどたくさんの人からの協力、激励がありました。
そして、そのどれもが心温まるものでした。この感動は、ことばではなかなか言い尽くせません。
これからも、つながっていくこと、つなげていくことを続けたいと思います。
私の予想をはるかに超えた沖縄と山田町・東北との交流ができてくるかもしれません。
「沖縄の神様は笑うことが好きで、戦争したり、いがみ合ったり、ののしりあったりするのは嫌いです。
一年のうち神様がお出ましになる日は決まっていますから、
その日だけでも神様を歓迎するためにみんなで笑います。
沖縄にはタントゥイ(種取り)という行事があります。
しめ縄を張って囲んだ田圃に集まって、
タントゥイウシュメー(種取りじいさん)がその周りを駆け回り始めます。
そこは田圃の濡れた畦道ですから、滑って転んだりします。
そして泥だらけになって、『タントゥーコーイ(種取り来い)』と唱えて『ハハハハハ』と作り笑いをします。
そういうことは子どもたちも大好きですから、『お前らも入れ』といわれると、
面白がってタントゥイウシュメーの後を追いかけて、自分たちも滑って転んで泥まみれになって走ります。
するとその子供たちの様子を見た親兄弟が、『あの子見てごらん。アハハハ』と笑って、
タントゥイウシュメーによって仕掛けられた笑いが、
いつの間にかあたりいっぱいにどよめく本物の笑いに変わっていきます。
その笑い声を聞いて神様が喜ぶというわけです。
そしてその時を狙ってカミンチュハーメー(神様と庶民の間をとりもつ役割のおばあさん)が
祈りを捧げて豊作の約束を取り付けるのです。
昔はしばしば不作になりました。
不作でも租税は出せと言って取り上げられ、凶作には餓死するものが出ました。
それこそ、笑いでもって、喜びも悲しみも乗り越えなくてはならなかったんでしょうねぇ。」
(照屋林助 「てるりん自伝」より抜粋)
今回の訪問で、たくさん笑いました。
滑稽な「先生」のおかけ (?) で、子どもたちもたくさん笑ってくれました。
子どもから広がっていく笑いはみんなを照らす光になります。そのことを強く感じました。
戦争といがみ合いの嫌いな沖縄の神様の恩恵を受けて、
これからもたくさんの笑いをともにしていきたいと思います。
おでんそーれ代表
精神科医 横田 泉
「被災者への支援とは何だろうか、私にできることは何だろうか
、ひとりよがりにならない支援とはどんなものなのだろうか・・・・」
というようなことを、いろいろと考えました。もちろん答えは出ませんが、
この問いに向かい続けることが大切だとおもいました。
予想はしていましたが、訪れた山田町の現状は厳しいものでした。
住宅や商店が並んでいた地域は、コンクリートの残骸が一部残った荒地でした。
駅には線路がなく、プラットホームの一部が残っているだけ、
その横にはスクラップになり錆びた乗用車の残骸が積まれていました。
復興計画すらまとまっていない状況、
仮設の生活がいつまで続くのか先が見えない状況であるとのことでした。
そんな中にプレハブで営業を再開した飲食店があり、
今回はそういうお店で食事をさせていただきました。
山田南小学校では、被災直後には流された病院の代わりとして学校が機能したこと、
体育館が避難所となっていたこと、
現在は校庭に仮設住宅が建てられていることを教えてもらいました。
震災の影響で授業が大幅に遅れ、厳しいスケジュールをこなしてきたこと、
厳しいスケジュールにもかかわらず私たちの活動が子どもたちの力になるだろうと考えて、
先生方が受け入れを決めてくださったことなどをうかがいました。
学校の関係者、オデンセ山田のメンバー、山田町で心のケア活動をされている人・・・。
今回の訪問で出会ったたくさんの方々から、それぞれの被災体験やその後の経緯、
みなさんの心の動きなどを聞かせていただく機会がありました。当然のことでしょうが、
その一つ一つに、重みがあり、考えさせられることがありました。
行ってよかった、会えてよかった、知ることができてよかったと心から思います。
つらい状況を見て、つらい話を聞いて、自分も少しではあれつらいはずなのですが、
それをはるかに超えて、知ることができてよかったと心から思えます。
このことを大切にしたい、みんなに伝えたいと思います。
私は関西の出身ですが、縁あって沖縄に来て、オリブ山病院で働くようになりました。
たくさんの沖縄の人と出会い、沖縄の歴史・文化を知るようになりました。
短い文章の中ではとても言い尽くすことができませんが、
私の生き方、価値観が沖縄のおかげで大きく変わりました。
戦中、戦後の厳しい時代を生き抜いてきた人たちの知恵と力、
貧しく苦しい中でも笑顔を絶やさず助け合ってきた伝統の力が
沖縄の精神として今に至るまで保たれています。
カンカラ三線はそのシンボルの一つですが、私が感じるそういうもの(沖縄のチムグクル)を
東北の皆さんに伝えたいと思いました。
そして、私が尊敬する沖縄の人と東北の人とをつないでいきたいと思いました。
ブログでもいくつか紹介されていますが、
声を上げてみると驚くほどたくさんの人からの協力、激励がありました。
そして、そのどれもが心温まるものでした。この感動は、ことばではなかなか言い尽くせません。
これからも、つながっていくこと、つなげていくことを続けたいと思います。
私の予想をはるかに超えた沖縄と山田町・東北との交流ができてくるかもしれません。
「沖縄の神様は笑うことが好きで、戦争したり、いがみ合ったり、ののしりあったりするのは嫌いです。
一年のうち神様がお出ましになる日は決まっていますから、
その日だけでも神様を歓迎するためにみんなで笑います。
沖縄にはタントゥイ(種取り)という行事があります。
しめ縄を張って囲んだ田圃に集まって、
タントゥイウシュメー(種取りじいさん)がその周りを駆け回り始めます。
そこは田圃の濡れた畦道ですから、滑って転んだりします。
そして泥だらけになって、『タントゥーコーイ(種取り来い)』と唱えて『ハハハハハ』と作り笑いをします。
そういうことは子どもたちも大好きですから、『お前らも入れ』といわれると、
面白がってタントゥイウシュメーの後を追いかけて、自分たちも滑って転んで泥まみれになって走ります。
するとその子供たちの様子を見た親兄弟が、『あの子見てごらん。アハハハ』と笑って、
タントゥイウシュメーによって仕掛けられた笑いが、
いつの間にかあたりいっぱいにどよめく本物の笑いに変わっていきます。
その笑い声を聞いて神様が喜ぶというわけです。
そしてその時を狙ってカミンチュハーメー(神様と庶民の間をとりもつ役割のおばあさん)が
祈りを捧げて豊作の約束を取り付けるのです。
昔はしばしば不作になりました。
不作でも租税は出せと言って取り上げられ、凶作には餓死するものが出ました。
それこそ、笑いでもって、喜びも悲しみも乗り越えなくてはならなかったんでしょうねぇ。」
(照屋林助 「てるりん自伝」より抜粋)
今回の訪問で、たくさん笑いました。
滑稽な「先生」のおかけ (?) で、子どもたちもたくさん笑ってくれました。
子どもから広がっていく笑いはみんなを照らす光になります。そのことを強く感じました。
戦争といがみ合いの嫌いな沖縄の神様の恩恵を受けて、
これからもたくさんの笑いをともにしていきたいと思います。
おでんそーれ代表
精神科医 横田 泉
2012年04月02日
それぞれの想い
山田南小学校を訪問すること1ヶ月。
私たちは、コミュニティラジオに出演しつつ、
次の訪問を含めた企画を日々考えています。
が、その前に!!
それぞれの3日間をそれぞれに振り返ってみたので、
遅くなってしまいましたが、
「おでんそーれ 岩手訪問記」
を数日間にわたりエントリーしていきたいと思います。
私たちは、コミュニティラジオに出演しつつ、
次の訪問を含めた企画を日々考えています。
が、その前に!!
それぞれの3日間をそれぞれに振り返ってみたので、
遅くなってしまいましたが、
「おでんそーれ 岩手訪問記」
を数日間にわたりエントリーしていきたいと思います。
2012年03月25日
デビューしてきました!!
前回のエントリーで予告した通り、
おでんそーれのメンバー、FMデビューしてまりいました。
第1弾は、3月12日のFMとよみさん。
なんと、知る人ぞ知る、龍神マブヤーに続く沖縄のヒーロー「ハルサーエイカー」にも
出演されているFECの芸人さんがパーソナリティーを務める番組でした。
とっても気さくなお兄さんだったので、緊張はしたものの、いろいろとたくさんお話をさせていただき、
豊見城地区の皆様におでんそーれの活動を知っていただけたのでは、と思っています。

ちなみに、終わった後、16人の人がネットでこのラジオを聴いている、と教えてもらいましたが、
おそらくそのうちの3人前後が職場の人でした。
FMとよみさんの番組は、生放送のみ、ということで、聞き逃した方も、出演したメンバーも
その時の放送を聴くことができないのが残念です。
第2弾は、3月16日のFMやんばるさん。
ここはなんと、スタッフの関係で1人参加!!
しかも事前の電話打ち合わせの中で「こんな内容を10分やそこらでは話せない」と言っていただいたので
時間については、メンバーとFMやんばるさんで相談してください、とお願いしたところ、
なんとなんと、夕方の帰宅ラッシュでたくさんの人が聞いてくれているだろう時間帯に
1時間も出演し、おでんそーれについて語ってこれたとのことでした。
すばらしーですね。
これで、彼はやんばるで悪いことはできなくなったはずです。
1人でやんばるまで行ってもらい、1時間も喋っていただいたことに敬意を払います。
申し訳ないのは、時間的に職場の誰も聴くことができなかったということ・・
現在、アップストリームで視聴できないか、全力で探しております。
第3弾は、FMよみたんさん。
出演メンバーは、我がおでんそーれのお笑い担当の2人。
時間も13時過ぎ、とお昼時間に視聴するにはぴったりな時間。
もちろん、メンバーも余裕があります。

余裕はありますが、この番組、FMよみたんさんで毎週木曜日に放送されている
「がんばろう日本、がんばろう読谷。」という、復興支援番組さんだったのです。
復興支援番組、なんて聞くと、少しお固く、少し真面目なイメージですが・・
この2人が出演すると、パーソナリティの方もずーっと笑ってるくらいに楽しい番組に。
CMを挟んで30分ほど出演したようです。
画像をクリックすると、アップストリームで、おでんそーれが出演したラジオが視聴できます。
そして最後第4弾は、3月23日のFMうるまさん。
出演したメンバーは、おでんそーれの中で1番安定したしっかり者の2人です。

楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
この2人なら、どんな質問がきても、どんな話題になっても大丈夫、という安心感が見ていてもありました。
番組の中では、一緒に行った私でも知らなかったおでんそーれが山田南小学校へ訪問することが
現実になった秘話(?私的に秘話でした)が語られています。
本当にほんの小さなきっかけではあったと思いますが、ブログをやっていてよかったー、と思いました。
こちらも、画像をクリックすると、番組が視聴できます。
最初こそ、みんな「えー!?ラジオでなんか喋れないですよー」と恥ずかしがっていたのですが、
実際、ブースに入ってみれば、意外と意外、パーソナリティさんのお力もあって、
全員、普段話すようにペラペラと普通に話していたような気がします。
これに気をよくして、おでんそーれのメンバーがパーソナリティを務める番組も生まれそうですね。
おでんそーれのメンバー、FMデビューしてまりいました。
第1弾は、3月12日のFMとよみさん。
なんと、知る人ぞ知る、龍神マブヤーに続く沖縄のヒーロー「ハルサーエイカー」にも
出演されているFECの芸人さんがパーソナリティーを務める番組でした。
とっても気さくなお兄さんだったので、緊張はしたものの、いろいろとたくさんお話をさせていただき、
豊見城地区の皆様におでんそーれの活動を知っていただけたのでは、と思っています。

ちなみに、終わった後、16人の人がネットでこのラジオを聴いている、と教えてもらいましたが、
おそらくそのうちの3人前後が職場の人でした。
FMとよみさんの番組は、生放送のみ、ということで、聞き逃した方も、出演したメンバーも
その時の放送を聴くことができないのが残念です。
第2弾は、3月16日のFMやんばるさん。
ここはなんと、スタッフの関係で1人参加!!
しかも事前の電話打ち合わせの中で「こんな内容を10分やそこらでは話せない」と言っていただいたので
時間については、メンバーとFMやんばるさんで相談してください、とお願いしたところ、
なんとなんと、夕方の帰宅ラッシュでたくさんの人が聞いてくれているだろう時間帯に
1時間も出演し、おでんそーれについて語ってこれたとのことでした。
すばらしーですね。
これで、彼はやんばるで悪いことはできなくなったはずです。
1人でやんばるまで行ってもらい、1時間も喋っていただいたことに敬意を払います。
申し訳ないのは、時間的に職場の誰も聴くことができなかったということ・・
現在、アップストリームで視聴できないか、全力で探しております。
第3弾は、FMよみたんさん。
出演メンバーは、我がおでんそーれのお笑い担当の2人。
時間も13時過ぎ、とお昼時間に視聴するにはぴったりな時間。
もちろん、メンバーも余裕があります。

余裕はありますが、この番組、FMよみたんさんで毎週木曜日に放送されている
「がんばろう日本、がんばろう読谷。」という、復興支援番組さんだったのです。
復興支援番組、なんて聞くと、少しお固く、少し真面目なイメージですが・・
この2人が出演すると、パーソナリティの方もずーっと笑ってるくらいに楽しい番組に。
CMを挟んで30分ほど出演したようです。
画像をクリックすると、アップストリームで、おでんそーれが出演したラジオが視聴できます。
そして最後第4弾は、3月23日のFMうるまさん。
出演したメンバーは、おでんそーれの中で1番安定したしっかり者の2人です。

楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
この2人なら、どんな質問がきても、どんな話題になっても大丈夫、という安心感が見ていてもありました。
番組の中では、一緒に行った私でも知らなかったおでんそーれが山田南小学校へ訪問することが
現実になった秘話(?私的に秘話でした)が語られています。
本当にほんの小さなきっかけではあったと思いますが、ブログをやっていてよかったー、と思いました。
こちらも、画像をクリックすると、番組が視聴できます。
最初こそ、みんな「えー!?ラジオでなんか喋れないですよー」と恥ずかしがっていたのですが、
実際、ブースに入ってみれば、意外と意外、パーソナリティさんのお力もあって、
全員、普段話すようにペラペラと普通に話していたような気がします。
これに気をよくして、おでんそーれのメンバーがパーソナリティを務める番組も生まれそうですね。
2012年03月12日
全員デビュー
以前、東京のローカルラジオに電話で生出演を果たした我らがおでんそーれ。
その時の様子はこちら
あの時は電話で、しかも当日、そして東京、といういろいろな条件があったため
出演したのがたったの1人でしたが、今回は違います。
このたび、県内のコミュニティラジオに出演が決定いたしました。
しかも、1局じゃありません。
県内各地5曲も!!そして、もちろん全てが生放送です。
時間的に、生放送で全て聞いてください、とは言えないのですが、
興味のある方は、それぞれの局のホームページでご確認ください。
1.FMとよみ
2012年3月13日(火) 17:45~
2.FMやんばる
2012年3月16日(金) 17:00~
3.FMよみたん
2012年3月22日(木) 13:00~
4.FMうるま
2012年3月23日(金) 12:00~
前回は、東京で電話だったので1人しか出演できませんでしたが、
今回は、県内で生放送なので、全員が出演できます。
さすがに、毎回毎回、全員が参加することが難しいので、
1局に2人ずつメンバーが出演する予定です。
どんな内容になるのかは全くわからないのですが、
おでんそーれの活動のこと、山田町訪問のこと、
これからの活動のことなどいろいろなお話ができれば、と考えています。
その時の様子はこちら
あの時は電話で、しかも当日、そして東京、といういろいろな条件があったため
出演したのがたったの1人でしたが、今回は違います。
このたび、県内のコミュニティラジオに出演が決定いたしました。
しかも、1局じゃありません。
県内各地5曲も!!そして、もちろん全てが生放送です。
時間的に、生放送で全て聞いてください、とは言えないのですが、
興味のある方は、それぞれの局のホームページでご確認ください。
1.FMとよみ
2012年3月13日(火) 17:45~
2.FMやんばる
2012年3月16日(金) 17:00~
3.FMよみたん
2012年3月22日(木) 13:00~
4.FMうるま
2012年3月23日(金) 12:00~
前回は、東京で電話だったので1人しか出演できませんでしたが、
今回は、県内で生放送なので、全員が出演できます。
さすがに、毎回毎回、全員が参加することが難しいので、
1局に2人ずつメンバーが出演する予定です。
どんな内容になるのかは全くわからないのですが、
おでんそーれの活動のこと、山田町訪問のこと、
これからの活動のことなどいろいろなお話ができれば、と考えています。
2012年03月11日
沖縄タイムス ワラビー
本日、ブログをアップしようかどうしようか悩んだのですが、
沖縄タイムスの子供向け新聞「ワラビー」さんに
山田南小学校のことが載っていたので。

記事の内容は読みにくいので、文章はこちら。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
カンカラ三線 友情の響き
昨年3月11日午後2時46分ごろ、岩手県の沿岸部、山田町にある山田南小学校では、
高学年児童は授業の真っ最中。低学年は下校の準備をしていました。
同校は海抜14メートルの小高い丘にあります。前日にも大きな地震があり、佐賀敏子
校長先生は当日の職員朝会で「もし地震が起これば津波が心配です。児童を学校に
待機させよう」と先生方に指示を出しました。
「グラリ」。地震発生後、下校中の2年生はすぐ学校に戻ってきました。グラウンドは児童
だけでなく、地域の人々を含めた避難場所になりました。
町は4メートル以上の津波に流されてしまいました。こんなに大きな津波が、静かな町を
襲うとはだれもが想像もしませんでした。家は流され、避難していた人が帰る場所はなく
なりました。
体育館を含めた学校にはしばらく、家を失った地域の人たちが身を寄せました。学校の
保健室は、町のお医者さんが病院の代わりに使うことになりました。
全国から緊急医療隊が、安全な場所にある山田南小学校にやってきました。地震から
約5か月後の8月までの間、学校は避難所として使われました。
■沖縄から笑顔届け
授業は4月に再開しましたが、学校は避難所のままです。校舎の1階は寝たきりの人の
病棟となり、2階から上の階を教室として使いました。体育館や運動場も使えず、廊下に
マットを敷いて体育の授業をしたこともありました。
家を流されたり、震災後両親の仕事がなくなるなどの理由で、町を離れる児童も少なく
ありませんでした。震災から1年の間に、全校生徒は304人から260人に減りました。
これまで外で元気にサッカーをしていた児童も、木陰でカードゲームをするようになったり
するなど、少しさびしそうでした。
2月下旬、沖縄のオリブ山病院の医師らによるグループ「おでんそーれカンカラ三線」
(横田泉会長)から、同校に5年生45人に三線が届けられました。交流会では沖縄の
エイサー、児童らの虎舞が演じられたほか三線教室もあり、参加者から笑顔がこぼれました。
沖縄の文化に初めて触れた川端空翔くん(11)は三線を手に「三線もエイサーもこれまで
見たことのないものばかり。うまく弾けるようになりたい」と思いを巡らせました。堀合泉さん
(11)は「一年中温かい沖縄に、いつか行ってみたい」と話しました。
復興には、まだ時間がかかりそうですが、佐賀校長は「つらいこともたくさんある。だけど、
自分たちの力で町を楽しくしようという気持ちが子どもたちに出てくれば、将来は明るい
ですね」と期待しています。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
子ども向けの新聞なので、言葉がとても優しいのですが、
その分、当時の状況がとても伝わるように感じました。
そこからの子どもたちの笑顔。
先日の琉球新報さんもそうでしたが、子どもたちや被災地の方たちの笑顔というのは
逆に私たちが力づけられ、勇気づけられるような気がします。
笑顔だけの毎日ではないことも現実ですが、こうして笑顔を見せてくれる子どもたちを
大切に見守っていきたいと思います。
8日付の琉球新報さん、11日付の沖縄タイムスさん、
私たちが見ることのできなかった、訪問後の子どもたちの笑顔を届けてくれて
本当にありがとうございました。
沖縄タイムスの子供向け新聞「ワラビー」さんに
山田南小学校のことが載っていたので。

記事の内容は読みにくいので、文章はこちら。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
カンカラ三線 友情の響き
昨年3月11日午後2時46分ごろ、岩手県の沿岸部、山田町にある山田南小学校では、
高学年児童は授業の真っ最中。低学年は下校の準備をしていました。
同校は海抜14メートルの小高い丘にあります。前日にも大きな地震があり、佐賀敏子
校長先生は当日の職員朝会で「もし地震が起これば津波が心配です。児童を学校に
待機させよう」と先生方に指示を出しました。
「グラリ」。地震発生後、下校中の2年生はすぐ学校に戻ってきました。グラウンドは児童
だけでなく、地域の人々を含めた避難場所になりました。
町は4メートル以上の津波に流されてしまいました。こんなに大きな津波が、静かな町を
襲うとはだれもが想像もしませんでした。家は流され、避難していた人が帰る場所はなく
なりました。
体育館を含めた学校にはしばらく、家を失った地域の人たちが身を寄せました。学校の
保健室は、町のお医者さんが病院の代わりに使うことになりました。
全国から緊急医療隊が、安全な場所にある山田南小学校にやってきました。地震から
約5か月後の8月までの間、学校は避難所として使われました。
■沖縄から笑顔届け
授業は4月に再開しましたが、学校は避難所のままです。校舎の1階は寝たきりの人の
病棟となり、2階から上の階を教室として使いました。体育館や運動場も使えず、廊下に
マットを敷いて体育の授業をしたこともありました。
家を流されたり、震災後両親の仕事がなくなるなどの理由で、町を離れる児童も少なく
ありませんでした。震災から1年の間に、全校生徒は304人から260人に減りました。
これまで外で元気にサッカーをしていた児童も、木陰でカードゲームをするようになったり
するなど、少しさびしそうでした。
2月下旬、沖縄のオリブ山病院の医師らによるグループ「おでんそーれカンカラ三線」
(横田泉会長)から、同校に5年生45人に三線が届けられました。交流会では沖縄の
エイサー、児童らの虎舞が演じられたほか三線教室もあり、参加者から笑顔がこぼれました。
沖縄の文化に初めて触れた川端空翔くん(11)は三線を手に「三線もエイサーもこれまで
見たことのないものばかり。うまく弾けるようになりたい」と思いを巡らせました。堀合泉さん
(11)は「一年中温かい沖縄に、いつか行ってみたい」と話しました。
復興には、まだ時間がかかりそうですが、佐賀校長は「つらいこともたくさんある。だけど、
自分たちの力で町を楽しくしようという気持ちが子どもたちに出てくれば、将来は明るい
ですね」と期待しています。
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子ども向けの新聞なので、言葉がとても優しいのですが、
その分、当時の状況がとても伝わるように感じました。
そこからの子どもたちの笑顔。
先日の琉球新報さんもそうでしたが、子どもたちや被災地の方たちの笑顔というのは
逆に私たちが力づけられ、勇気づけられるような気がします。
笑顔だけの毎日ではないことも現実ですが、こうして笑顔を見せてくれる子どもたちを
大切に見守っていきたいと思います。
8日付の琉球新報さん、11日付の沖縄タイムスさん、
私たちが見ることのできなかった、訪問後の子どもたちの笑顔を届けてくれて
本当にありがとうございました。
2012年03月08日
3.11に向けて
岩手から帰ってきてからなかなか更新ができておりません。
現在、岩手に行ったメンバーがそれぞれの想いを文章にしているところなのですが、
集まった分に関してはなかなかの力作になっており、
もう少ししたら、連載形式でお届けできるかと思います。
さて、それまで間というわけではありませんが、ご報告と告知です。
3月11日の震災からもうすぐ1年。
県内でも各メディア、団体等がいろいろな追悼イベント、復興イベントに力を入れています。
そんな中の、本日の琉球新報さんの1面

山田南小学校の校長先生と5年生の児童さんが!!
おでんそーれのメンバーも知らなかったこの記事。
朝からビックリさせていただきました。
校長先生が持っているカンカラ三線は、おでんそーれのメンバーが山田南小学校にプレゼントしたものです。
実物はこちら。

かわいいカンカラの持ち主は・・
校長先生が持っているほうが似合いますね。
こうして、私たちの訪問の後のことが新聞に載ったりすると、
やっぱり今回の訪問はスタートだったんだなぁ、と改めて実感します。
これからの活動がどうなっていくかは、まだまだ未知数ですが、
とりあえず、直近での活動をご報告。
東日本大震災追悼・3月11日みんな集まっぺ!なんくるないさー

日時:3月11日(日)11時~16時
場所:JICA沖縄国際センターグラウンド広場
浦添市で活躍する前田エイサーのメンバーさんの1人が、
震災後、福島から沖縄に移住してきた方で、その方が
「お世話になった沖縄の人に何か恩返しがしたい」
という想いから前田エイサーのメンバーさんたちと一緒に立ち上げた企画だそうです。
当日は、福島の文化と沖縄の文化の体験交流や、郷土料理、無料ライブなどたくさんの企画が準備されています。
その中でおでんそーれもカンカラ三線体験のコーナーをもつことになりました。
当日は、山田町へ訪問した時の写真などを使って活動の紹介もする予定です。
お時間のある方、お近くの方、ぜひぜひ皆様でお越しください。
現在、岩手に行ったメンバーがそれぞれの想いを文章にしているところなのですが、
集まった分に関してはなかなかの力作になっており、
もう少ししたら、連載形式でお届けできるかと思います。
さて、それまで間というわけではありませんが、ご報告と告知です。
3月11日の震災からもうすぐ1年。
県内でも各メディア、団体等がいろいろな追悼イベント、復興イベントに力を入れています。
そんな中の、本日の琉球新報さんの1面

山田南小学校の校長先生と5年生の児童さんが!!
おでんそーれのメンバーも知らなかったこの記事。
朝からビックリさせていただきました。
校長先生が持っているカンカラ三線は、おでんそーれのメンバーが山田南小学校にプレゼントしたものです。
実物はこちら。
かわいいカンカラの持ち主は・・
校長先生が持っているほうが似合いますね。
こうして、私たちの訪問の後のことが新聞に載ったりすると、
やっぱり今回の訪問はスタートだったんだなぁ、と改めて実感します。
これからの活動がどうなっていくかは、まだまだ未知数ですが、
とりあえず、直近での活動をご報告。
東日本大震災追悼・3月11日みんな集まっぺ!なんくるないさー

日時:3月11日(日)11時~16時
場所:JICA沖縄国際センターグラウンド広場
浦添市で活躍する前田エイサーのメンバーさんの1人が、
震災後、福島から沖縄に移住してきた方で、その方が
「お世話になった沖縄の人に何か恩返しがしたい」
という想いから前田エイサーのメンバーさんたちと一緒に立ち上げた企画だそうです。
当日は、福島の文化と沖縄の文化の体験交流や、郷土料理、無料ライブなどたくさんの企画が準備されています。
その中でおでんそーれもカンカラ三線体験のコーナーをもつことになりました。
当日は、山田町へ訪問した時の写真などを使って活動の紹介もする予定です。
お時間のある方、お近くの方、ぜひぜひ皆様でお越しください。
2012年02月23日
琉球新報
今朝の琉球新報さんで、山田南小学校へ訪問したことを、記事にしてくださいました。

我が家はタイムスなので、朝からコンビニで購入。
今日は、沖縄にとってとても大切なニュースが乗る日にも関わらず
こんなに大きな記事!!
しかも、「今日の紙面」にも。

おでんそーれ、一面デビューですね。

我が家はタイムスなので、朝からコンビニで購入。
今日は、沖縄にとってとても大切なニュースが乗る日にも関わらず
こんなに大きな記事!!
しかも、「今日の紙面」にも。

おでんそーれ、一面デビューですね。
2012年02月22日
沖縄から
濃ーい1日を終え、私たちは岩手を観光する暇もなく
2日前に来た道のりを逆走し沖縄へ。
朝、出発前にホテルにあった岩手日報をチェックすると、
昨日の授業の様子が載っています。
しかも、結構大きな記事。

貴重なこの新聞、佐々木先生がわざわざ盛岡行きのバスの中まで買ってきてくれました。
朝8時のバスだったのに。
しかも人数分。本当にありがたいです。
記事の内容はこちら
バスで盛岡まで2時間。
行きは外が真っ暗でわからなかったのですが、山道は雪だらけ。

盛岡では1時間ほど余裕があったので、ゆっくりとお土産を購入し、新幹線へ。
行きはバラバラだったので向い合せにできなかった席を今回は向い合せに座ってみました。

狭そうだけど、旅の醍醐味です。
だけど、楽しそうなのはこの一瞬。
やっぱり向い合せは狭かったので、2人は別のゆったりとした席へ。

3年2組さんからのお土産を食べる2人。何だかすごく仲良し。
無事、訪問を終えて緊張の糸も解けたのか、
行きはあまり飲めず?残っていた日本酒を堪能。

次のことを考えずに飲めるお酒ほど美味しいものはありませんね。
ゆっくりと写真を撮れたのはここまで。
残りはひたすら寝る、寝る、寝る。
写真を撮る暇なく眠りました。
そして沖縄へ・・
実際は3日ぶりの沖縄だったのですが、内容の濃い3日間だったため、
1週間ぶりにくらいに感じる沖縄。
疲れ切って写真を撮ることも忘れてしまいました。
最後に、たくさんたくさんいろんなことを感じた今回の山田町の訪問。
ブログの記事は、1人の人間で書いているため、
今回の訪問については、なるべく淡々と書いたつもりです。
メンバー1人1人がそれぞれに感じた感情や想いは
私1人には表現することができないため、
それぞれの思い出や想いはそれぞれに書いてもらいたいと思います。
なので、山田町訪問記は、まだまだ続きます。
みんなの気持ちや写真の整理ができるまで時間はかかるかもしれませんが。
私たちやオデンセ山田の佐々木先生をはじめ、
今回の企画、訪問に関わってくれた全ての人が感じていることだけ。
それは、今回の訪問は、企画の終了ではなく、ここからがスタートだということ。
今後の私たちの活動については、まだまだ未定です。
同じようにカンカラ三線を届けたり、沖縄のことを子どもたちに伝えたりするかもしれないし、
私たちが行くのではなく、子どもたちを沖縄に招待するために動くかもしれません。
人の行き来ではなく、情報や物の行き来もいいですね。
被災地の復興は、たった1回訪問しただけの私たちが想像できるほど簡単なものではありません。
私たちとは違う時間が被災地には流れていることを今回の訪問で実感しました。
ショックを受けた現実があったことも事実です。
でも、この現実から目をそむけず、
大それたことをしようとするのではなく、
ゆっくりと被災地の時間に合わせた支援を
細く長くしていければと思っています。
オデンセ山田さんと、山田南小学校の先生方と、子どもたちと、
今回出会った全ての人々と手を繋ぎ続けていければ、
私たちが妄想する全てのことが、いつかは現実のものになるんじゃないかな、と。
そう信じて、これからもこの活動をいろんな形で続けていこうと思いました。
2日前に来た道のりを逆走し沖縄へ。
朝、出発前にホテルにあった岩手日報をチェックすると、
昨日の授業の様子が載っています。
しかも、結構大きな記事。

貴重なこの新聞、佐々木先生がわざわざ盛岡行きのバスの中まで買ってきてくれました。
朝8時のバスだったのに。
しかも人数分。本当にありがたいです。
記事の内容はこちら
バスで盛岡まで2時間。
行きは外が真っ暗でわからなかったのですが、山道は雪だらけ。

盛岡では1時間ほど余裕があったので、ゆっくりとお土産を購入し、新幹線へ。
行きはバラバラだったので向い合せにできなかった席を今回は向い合せに座ってみました。

狭そうだけど、旅の醍醐味です。
だけど、楽しそうなのはこの一瞬。
やっぱり向い合せは狭かったので、2人は別のゆったりとした席へ。

3年2組さんからのお土産を食べる2人。何だかすごく仲良し。
無事、訪問を終えて緊張の糸も解けたのか、
行きはあまり飲めず?残っていた日本酒を堪能。

次のことを考えずに飲めるお酒ほど美味しいものはありませんね。
ゆっくりと写真を撮れたのはここまで。
残りはひたすら寝る、寝る、寝る。
写真を撮る暇なく眠りました。
そして沖縄へ・・
実際は3日ぶりの沖縄だったのですが、内容の濃い3日間だったため、
1週間ぶりにくらいに感じる沖縄。
疲れ切って写真を撮ることも忘れてしまいました。
最後に、たくさんたくさんいろんなことを感じた今回の山田町の訪問。
ブログの記事は、1人の人間で書いているため、
今回の訪問については、なるべく淡々と書いたつもりです。
メンバー1人1人がそれぞれに感じた感情や想いは
私1人には表現することができないため、
それぞれの思い出や想いはそれぞれに書いてもらいたいと思います。
なので、山田町訪問記は、まだまだ続きます。
みんなの気持ちや写真の整理ができるまで時間はかかるかもしれませんが。
私たちやオデンセ山田の佐々木先生をはじめ、
今回の企画、訪問に関わってくれた全ての人が感じていることだけ。
それは、今回の訪問は、企画の終了ではなく、ここからがスタートだということ。
今後の私たちの活動については、まだまだ未定です。
同じようにカンカラ三線を届けたり、沖縄のことを子どもたちに伝えたりするかもしれないし、
私たちが行くのではなく、子どもたちを沖縄に招待するために動くかもしれません。
人の行き来ではなく、情報や物の行き来もいいですね。
被災地の復興は、たった1回訪問しただけの私たちが想像できるほど簡単なものではありません。
私たちとは違う時間が被災地には流れていることを今回の訪問で実感しました。
ショックを受けた現実があったことも事実です。
でも、この現実から目をそむけず、
大それたことをしようとするのではなく、
ゆっくりと被災地の時間に合わせた支援を
細く長くしていければと思っています。
オデンセ山田さんと、山田南小学校の先生方と、子どもたちと、
今回出会った全ての人々と手を繋ぎ続けていければ、
私たちが妄想する全てのことが、いつかは現実のものになるんじゃないかな、と。
そう信じて、これからもこの活動をいろんな形で続けていこうと思いました。
2012年02月21日
どこでも沖縄。
小学校、飲食店、仮設住宅での講演を終え、夜は親睦会です。
場所は山田町のお店。
「ささき」という、震災で被災後、仮設で再開したというお店です。

中は私たちが入ればいっぱいで、本日は貸切でした。
東北の冬といえば鍋。
お昼にあんなに食べたのに、またもや牡蠣。

お昼にあんなに食べたのに、見た瞬間「牡蠣なべだぁー」という歓喜の声。
蒸し焼きとはまた違う牡蠣の美味しさを堪能しました。
そして、東北はお魚がとにかく美味しいのです。
沖縄ももちろんですが、負けないくらい美味しい。

貝に入ってるだけで美味しさ倍増です。

毛ガニに肉厚椎茸は鍋の後のお楽しみ。
もちろん、しっかりとガッツリいただきました。
親睦会では、山田南小学校の校長先生、副校長先生、
5年生の担任の先生方がいらしてくださいました。

そして、仮設住宅で一緒にミニコンサートを行った
盛岡にあるお店、クロスロードのマスターさんとそこのお客さん。

私たちと同じように、佐々木先生とつながって「何かをしたい」「続いていきたい」と話される支援者さんです。
それに、オデンセ山田の佐々木先生の仲間の看護師さんに保健師さん。
見るからにに癒し系の看護師さん。

オーラが違います。
自称「日本一熱い保健師」さん。

熱いうえにイケメン。
今日1日お世話になりまくった佐々木先生とオデンセ山田のメンバーさんも忘れてはいけませんね。

佐々木先生がいたからこそ、子どもたちの笑顔が見れました。

お仕事がお休みの日に1日付き合ってくださいました。
影の尽力者です。
親睦会では、昼と違い、ゆっくりとした時間の中でたくさんの方とたくさんお話をすることができました。
震災の話やその後のお話といった貴重な内容から
子どもたちの話に、私たちの明るい職場の話、
沖縄のこと、岩手のこと‥
写真なんか撮る余裕のないくらいに、飲んで話して‥
当然最後には歌い踊ります。

ここまで来ると、旅芸人は1人ぼっち。
でも、そんなことが気にならないくらい
みんなが一緒に踊ってくれます。
ここは沖縄!?と間違うほど。

先生もノリノリ。
こんなステキな先生が担任だからこそ、
子どもたちのあの笑顔が生まれるんですね。
次、このお店に来る頃には、壁に三線がかかり、
メニューに泡盛が入ってることでしょう。
突然の三線演奏にも笑顔で一緒に楽しんでくれた「ささき」のママさん。

本当に岩手に行ったのか?と疑われそうな1枚。

校長先生もとーってもチャーミング。
おじさんメロメロです。
沖縄と違い、早い時間から開始したにも関わらず、お開きは沖縄と同じ時間。
実はこの後、2次会にも行っちゃいました。
残念ながら、写真がないのですが、もちろんここでも三線片手に歌い踊りましたよ。
そして、マスターがすごい偶然!!
山田南小学校の5年生の女の子のお父さまでした。
帰りに聞いてビックリ。
娘さんと沖縄の話が話題になれば嬉しいなー。
本当に何を言っても足りないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。
こうして1つ1つの場所を1日ずつ過ごしたんじゃないか!?と思うくらい長い長い1日は
子どもたちはもちろん、先生も看護師さんも保健師さんも、
みーんな沖縄に連れて行きたいくらいステキな人たちと出会い、
たくさんの笑顔と涙で無事終えることができました。
場所は山田町のお店。
「ささき」という、震災で被災後、仮設で再開したというお店です。

中は私たちが入ればいっぱいで、本日は貸切でした。
東北の冬といえば鍋。
お昼にあんなに食べたのに、またもや牡蠣。

お昼にあんなに食べたのに、見た瞬間「牡蠣なべだぁー」という歓喜の声。
蒸し焼きとはまた違う牡蠣の美味しさを堪能しました。
そして、東北はお魚がとにかく美味しいのです。
沖縄ももちろんですが、負けないくらい美味しい。

貝に入ってるだけで美味しさ倍増です。

毛ガニに肉厚椎茸は鍋の後のお楽しみ。
もちろん、しっかりとガッツリいただきました。
親睦会では、山田南小学校の校長先生、副校長先生、
5年生の担任の先生方がいらしてくださいました。

そして、仮設住宅で一緒にミニコンサートを行った
盛岡にあるお店、クロスロードのマスターさんとそこのお客さん。

私たちと同じように、佐々木先生とつながって「何かをしたい」「続いていきたい」と話される支援者さんです。
それに、オデンセ山田の佐々木先生の仲間の看護師さんに保健師さん。
見るからにに癒し系の看護師さん。

オーラが違います。
自称「日本一熱い保健師」さん。

熱いうえにイケメン。
今日1日お世話になりまくった佐々木先生とオデンセ山田のメンバーさんも忘れてはいけませんね。

佐々木先生がいたからこそ、子どもたちの笑顔が見れました。

お仕事がお休みの日に1日付き合ってくださいました。
影の尽力者です。
親睦会では、昼と違い、ゆっくりとした時間の中でたくさんの方とたくさんお話をすることができました。
震災の話やその後のお話といった貴重な内容から
子どもたちの話に、私たちの明るい職場の話、
沖縄のこと、岩手のこと‥
写真なんか撮る余裕のないくらいに、飲んで話して‥
当然最後には歌い踊ります。

ここまで来ると、旅芸人は1人ぼっち。
でも、そんなことが気にならないくらい
みんなが一緒に踊ってくれます。
ここは沖縄!?と間違うほど。

先生もノリノリ。
こんなステキな先生が担任だからこそ、
子どもたちのあの笑顔が生まれるんですね。
次、このお店に来る頃には、壁に三線がかかり、
メニューに泡盛が入ってることでしょう。
突然の三線演奏にも笑顔で一緒に楽しんでくれた「ささき」のママさん。

本当に岩手に行ったのか?と疑われそうな1枚。

校長先生もとーってもチャーミング。
おじさんメロメロです。
沖縄と違い、早い時間から開始したにも関わらず、お開きは沖縄と同じ時間。
実はこの後、2次会にも行っちゃいました。
残念ながら、写真がないのですが、もちろんここでも三線片手に歌い踊りましたよ。
そして、マスターがすごい偶然!!
山田南小学校の5年生の女の子のお父さまでした。
帰りに聞いてビックリ。
娘さんと沖縄の話が話題になれば嬉しいなー。
本当に何を言っても足りないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。
こうして1つ1つの場所を1日ずつ過ごしたんじゃないか!?と思うくらい長い長い1日は
子どもたちはもちろん、先生も看護師さんも保健師さんも、
みーんな沖縄に連れて行きたいくらいステキな人たちと出会い、
たくさんの笑顔と涙で無事終えることができました。
2012年02月21日
ミニ公演2本立て
山田南小学校で感動した後は、午後に向けて腹ごしらえです。
向かうは、津波を乗り越えた牡蠣で口福体験ができるという「かき小屋」

40分の時間内で牡蠣の蒸し焼きが食べ放題、というお店です。
お店に入るなり、待ってました、と第一段。

蓋を開けると

これでもかーというくらいの牡蠣。
あとは、お店の方にカラを向いてひたすら食べる食べる。


5人で食べるとあっとゆー間に空っぽです。
そしてすかさず第二段。

第一段の倍近い牡蠣を投入し、待つこと15分。
第一段終了後に1人脱退し、2人組になった旅芸人がここでも歌い踊ります。

かき小屋が一気に沖縄に。

これこそ「いちゃりばちょーでー」な世界です。
程よい運動の後は、ご飯に牡蠣を乗せた贅沢牡蠣ご飯を・・

全力で頬張る。

普通の食べ放題で40分は短いですが、牡蠣食べ放題は40分で大満足でした。

最後はお決まりの集合写真でごちそうさまでした。

その後は、山田南小学校の運動場にある仮設住宅でミニコンサート。
本日3回目の公演です。

授業をした子どもたちも来てくれました。
授業が終わった後もこうやって声をかけてくれるのが嬉しいですね。
ギターと三線をバックに1人ずつ持ち歌を披露していきます。


変なおじさんことチョンダラーを脱ぎ、ハイサイおじさんを熱唱。
チョンダラーで変なおじさんを歌っても子ども受けがよかったかもしれませんね。

仲良し母娘は、アメイジンググレイスを、何と沖縄方言と英語で披露。

高めの声を生かして、古謝美佐子の童神。
いわずとしれた名曲。岩手の人の心にも届いたでしょうか。

三線を弾いているように見えますが、持っているだけです。
街頭募金でも歌い、自信をつけた花を熱唱しています。
合間合間には、3年2組さんが作ってくれたおやつも食べます。



子どもたちに大人気、紅芋チップス。
これ、多分、山田町で売れます。
ギターと三線で歌を歌うのは初めてのメンバーばかりな上、練習も満足にできなかったのですが、
温かい笑顔で受け入れてもらい、帰りには「楽しかったよー」と言ってもらえて大満足でした。
これだけでも十分濃いのですが、旅芸人の1日はまだまだまだまだ続きます。
向かうは、津波を乗り越えた牡蠣で口福体験ができるという「かき小屋」

40分の時間内で牡蠣の蒸し焼きが食べ放題、というお店です。
お店に入るなり、待ってました、と第一段。

蓋を開けると

これでもかーというくらいの牡蠣。
あとは、お店の方にカラを向いてひたすら食べる食べる。


5人で食べるとあっとゆー間に空っぽです。
そしてすかさず第二段。

第一段の倍近い牡蠣を投入し、待つこと15分。
第一段終了後に1人脱退し、2人組になった旅芸人がここでも歌い踊ります。

かき小屋が一気に沖縄に。

これこそ「いちゃりばちょーでー」な世界です。
程よい運動の後は、ご飯に牡蠣を乗せた贅沢牡蠣ご飯を・・

全力で頬張る。

普通の食べ放題で40分は短いですが、牡蠣食べ放題は40分で大満足でした。

最後はお決まりの集合写真でごちそうさまでした。

その後は、山田南小学校の運動場にある仮設住宅でミニコンサート。
本日3回目の公演です。

授業をした子どもたちも来てくれました。
授業が終わった後もこうやって声をかけてくれるのが嬉しいですね。
ギターと三線をバックに1人ずつ持ち歌を披露していきます。


変なおじさんことチョンダラーを脱ぎ、ハイサイおじさんを熱唱。
チョンダラーで変なおじさんを歌っても子ども受けがよかったかもしれませんね。

仲良し母娘は、アメイジンググレイスを、何と沖縄方言と英語で披露。

高めの声を生かして、古謝美佐子の童神。
いわずとしれた名曲。岩手の人の心にも届いたでしょうか。

三線を弾いているように見えますが、持っているだけです。
街頭募金でも歌い、自信をつけた花を熱唱しています。
合間合間には、3年2組さんが作ってくれたおやつも食べます。



子どもたちに大人気、紅芋チップス。
これ、多分、山田町で売れます。
ギターと三線で歌を歌うのは初めてのメンバーばかりな上、練習も満足にできなかったのですが、
温かい笑顔で受け入れてもらい、帰りには「楽しかったよー」と言ってもらえて大満足でした。
これだけでも十分濃いのですが、旅芸人の1日はまだまだまだまだ続きます。
2012年02月21日
いざ、山田南小学校へ
寒さも感じないくらいポカポカ良いお天気にだった20日(月)。
私たちは、山田南小学校に向けて出発しました。
旅芸人の一行。
泊まったホテルから山田南小学校までは30分ほど。
楽しく話しをしながらテンションあげあげで♪
とはいかず、山田南小学校に着くまでに私たちは被災地の現実を目の当たりにしました。
日々新しいニュースが新聞やテレビで流れる中に、今の被災地の状況を流すニュースがどれだけあったんだろう。
と思わずにはいられない現実がそこにはありました。

1年間毎日毎日この景色を見続けている子どもたちに、私たちにできることがあるのかな。
そんなことすら思ってしまうほどの風景。
出発前の笑顔は消え、緊張が走ります。
そんな緊張を一気に和らげてくれたのが、私たちの訪問を歓迎してくれる掲示の数々。



校長先生を始めとする、優しい笑顔の先生方にみんな自然と笑顔が戻ってきました。
いよいよ授業です。
もち時間は90分。90分で沖縄のことを話し、カンカラ三線を作り、練習をします。
山田南小学校の子どもたちはみんなとても可愛らしく、
最初こそお互いに緊張した面もちだったのですが、
3年2組さんが準備してくれたサトウキビを見たとたん一気に笑顔が。
「サトウキビかじりたい人ー」と言うと手があがるあがる。


サトウキビをかじるために大行列。
みんな興味津々でサトウキビをかじります。
その後はお互いに緊張もほぐれ、質問をすればみんなが手をあげてくれ、
カンカラ三線を作る時には子どもたちからも声をかけてくれ、
本当に笑顔溢れる時間を持つことができました。
みんな必死でカンカラ三線作りを指導したおかげで、写真も動画も一切ありませんが。
みんなで練習する予定だった、BEGINの「カンカラ三線うむしるむん」は、
作成に白熱しすぎ残念ながら時間切れ。
なので、聞いて自主練をして沖縄に弾きにきてね、という想いを込めて、
代表らによる模範演奏。
授業の後は、子どもたちからお礼に「虎舞(とらまい)」の演舞披露です。
数日前の練習では、トラではなくネコだった、と校長先生。
本番は、しっかり怖いくらいにトラでした。


沖縄の獅子舞みたいです。
いつか沖縄で共演してほしい。

全く関係ないですが、
トラがグルグル廻ってバターになっちゃう絵本がありましたよね。
何となく思い出してしまいました。
男の子たちのトラはもちろん、女の子たちの演奏も素晴らしいです。


太鼓も迫力あるし、横笛もキレイな音色。
子どもたちの素晴らしい演技に、
大人たちはみんな溢れる泪を堪えるのに必死でした。

最後はお決まりのカチャーシー。
ちょっとスリラーっぽいですが、可愛いから問題なしです。

チョンダラー大人気。
堪えた涙もどこへやら。またまたたくさんの笑顔にあふれました。
帰りには、3年2組さんから預かった愛情たっぷりなお土産をプレゼントし、またまた笑顔。

本当にとにかく愛おしいです。
「沖縄行きたーい」の言葉がとても嬉しくて、
子どもたちを沖縄に招待することを現実のものにしたい気持ちがよりいっそう強くなったお別れでした。
毎日のカリキュラムをこなすだけでも大変なはずなのに、
たくさんの時間を私たちのために作って下さった山田南小学校の先生方、
たくさんの笑顔を見せてくれた子どもたち、
本当にありがとうございました。

旅芸人の1日はまだまだ続きます。
たくさんの写真とメンバーそれぞれの思いは、
各自お家に帰った後、ゆっくり写真と気持ちを整理してお伝えできれば、と思っています。
私たちは、山田南小学校に向けて出発しました。
旅芸人の一行。泊まったホテルから山田南小学校までは30分ほど。
楽しく話しをしながらテンションあげあげで♪
とはいかず、山田南小学校に着くまでに私たちは被災地の現実を目の当たりにしました。
日々新しいニュースが新聞やテレビで流れる中に、今の被災地の状況を流すニュースがどれだけあったんだろう。
と思わずにはいられない現実がそこにはありました。

1年間毎日毎日この景色を見続けている子どもたちに、私たちにできることがあるのかな。
そんなことすら思ってしまうほどの風景。
出発前の笑顔は消え、緊張が走ります。
そんな緊張を一気に和らげてくれたのが、私たちの訪問を歓迎してくれる掲示の数々。



校長先生を始めとする、優しい笑顔の先生方にみんな自然と笑顔が戻ってきました。
いよいよ授業です。
もち時間は90分。90分で沖縄のことを話し、カンカラ三線を作り、練習をします。
山田南小学校の子どもたちはみんなとても可愛らしく、
最初こそお互いに緊張した面もちだったのですが、
3年2組さんが準備してくれたサトウキビを見たとたん一気に笑顔が。
「サトウキビかじりたい人ー」と言うと手があがるあがる。


サトウキビをかじるために大行列。
みんな興味津々でサトウキビをかじります。
その後はお互いに緊張もほぐれ、質問をすればみんなが手をあげてくれ、
カンカラ三線を作る時には子どもたちからも声をかけてくれ、
本当に笑顔溢れる時間を持つことができました。
みんな必死でカンカラ三線作りを指導したおかげで、写真も動画も一切ありませんが。
みんなで練習する予定だった、BEGINの「カンカラ三線うむしるむん」は、
作成に白熱しすぎ残念ながら時間切れ。
なので、聞いて自主練をして沖縄に弾きにきてね、という想いを込めて、
代表らによる模範演奏。
授業の後は、子どもたちからお礼に「虎舞(とらまい)」の演舞披露です。
数日前の練習では、トラではなくネコだった、と校長先生。
本番は、しっかり怖いくらいにトラでした。


沖縄の獅子舞みたいです。
いつか沖縄で共演してほしい。

全く関係ないですが、
トラがグルグル廻ってバターになっちゃう絵本がありましたよね。
何となく思い出してしまいました。
男の子たちのトラはもちろん、女の子たちの演奏も素晴らしいです。


太鼓も迫力あるし、横笛もキレイな音色。
子どもたちの素晴らしい演技に、
大人たちはみんな溢れる泪を堪えるのに必死でした。

最後はお決まりのカチャーシー。
ちょっとスリラーっぽいですが、可愛いから問題なしです。

チョンダラー大人気。
堪えた涙もどこへやら。またまたたくさんの笑顔にあふれました。
帰りには、3年2組さんから預かった愛情たっぷりなお土産をプレゼントし、またまた笑顔。

本当にとにかく愛おしいです。
「沖縄行きたーい」の言葉がとても嬉しくて、
子どもたちを沖縄に招待することを現実のものにしたい気持ちがよりいっそう強くなったお別れでした。
毎日のカリキュラムをこなすだけでも大変なはずなのに、
たくさんの時間を私たちのために作って下さった山田南小学校の先生方、
たくさんの笑顔を見せてくれた子どもたち、
本当にありがとうございました。

旅芸人の1日はまだまだ続きます。
たくさんの写真とメンバーそれぞれの思いは、
各自お家に帰った後、ゆっくり写真と気持ちを整理してお伝えできれば、と思っています。



